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朝鮮半島情勢(29)-韓国(19)-『全斗煥』(5)

1987年1月14日午前11時頃、

韓国警察が、
ソウル大学の学生『朴鍾哲』を、取り調べしていたところ、
意識を失ったので、

中央大学龍山病院応急室の医師『オ・ヨンサン』に、

「取調べを受けていた大学生『朴鍾哲』が、
酒を、たくさん飲んだらしく、

喉が渇いたと言って、

コップを使わず、
やかんから直接、水を飲んだら、

呼吸に問題が生じたようだ。」と言って、

緊急往診の要請をしました。

医師『オ・ヨンサン』は、

過剰の水分摂取によって生じる中毒症状で、

重症では、死亡するという水中毒と考え、

5分位で、現場に駆けつけてみると、

水の飲み過ぎで倒れたはずの大学生『朴鍾哲』が、

頭からつま先まで、
ずぶ濡れの下着姿で横たわり、
心停止の状態でした。

医師『オ・ヨンサン』は、近くに白い浴槽があり、
床一面も水浸しだったので、
警察の説明が事実でないと直感しました。

医師『オ・ヨンサン』は、不審に思いながらも、
約30分間、蘇生処置をしましたが、
生き返りませんでした。

そして、
医師『オ・ヨンサン』は、
死亡診断書の作成を求められたので、

変死扱いになり司法解剖されることを狙って、
死因不詳と記入しました。

その後、医師『オ・ヨンサン』は、
大学生『朴鍾哲』の死に関して、
警察は何かを隠していると思いながらトイレ行くと、

たまたま、
知り合いの中央日報の『シン・ソンホ』記者がいたので、

「大学生『朴鍾哲』が、
取り調べ中に、ショック死した。」と簡単に、概要を話したそうです。

実は、
ソウル大学の学生『朴鍾哲』は、

学生運動に参加していましたが、

仲の良かったソウル大学の先輩で、

民主化推進委員会結成などで、
1985年から指名手配中の『朴鍾雲』の捜査のため、

1987年1月14日早朝に、
警察により、南営洞対共分室に連行され、
取り調べを受けていたそうです。

そして、1月14日午後7時頃、
警察は、ソウル地検に、
大学生『朴鍾哲』の死に関して、
当日中の事務処理と火葬を要請しました。

しかし、
遺族との対面もないまま、
火葬することを知った『崔桓』公安部長は、

直感的に拷問死を悟り、
警察を約2時間説得をして、

『朴鍾哲』の遺体保存命令を下しました。

当時、
警察と検察が深い協力関係にあったので、
異例の対応だったそうです。

1月15日午前、
『崔桓』公安部長が、
『朴鍾哲』の司法解剖を、指示したそうです。

しかし、
『姜玟昌』治安本部長は、
『朴鍾哲』の遺体を司法解剖させないように、
遺体のある警察病院に指示しました。

『崔桓』公安部長は、『姜玟昌』治安本部長に対して、
公務執行妨害での逮捕をちらつかせ、
司法解剖に同意させました。

『姜玟昌』治安本部長は、
「司法解剖は、認めるが、
警察病院で、司法解剖を行う。」と言いました。

しかし、『崔桓』公安部長は、
警察病院だと不正な司法解剖を行うと考え、
警察病院ではなく、
民間の漢陽大学病院で、司法解剖を行う事にしたそうです。

すると、
『姜玟昌』治安本部長は、

『崔桓』公安部長に対して、

「これから夜道は、何が起きるか分からないぞ!

せいぜい気をつける事だな。」と、言ったそうです。

そして、警察は、
解剖医『黄迪駿(ファン・ジョクジュン)』に、

「病理解剖を行わずに、所見書の偽装をしろ!

命令に逆らうと、家族やお前が、
今後どんな目に会うか分からないぞ!」と言って、
約7万円渡したそうです。

解剖医『黄迪駿(ファン・ジョクジュン)』は、
一晩熟慮の末、

1月15日夜8時、
『アン・サンス』検事の監視下で、

『朴鍾哲』の叔父の立会いのもと、

正しく司法解剖を行なったそうです。

1月15日午後、
新聞の中央日報の『シン・ソンホ』記者が、
医師『オ・ヨンサン』から聞いた、
「捜査中の大学生『朴鍾哲』のショック死事件」として、
スクープ報道しました。

そのため、
記者会見を開いた『姜玟昌』治安本部長は、
「大学生『朴鍾哲』が、

取り調べ中に、
係員が、机をタッと叩いたら、オッと叫んで死んだ。

死亡したのは、
持病による心臓発作だ。」と発表しました。

しかし、
実は、『朴鍾哲』は、取り調べには、
非協力で、『朴鍾雲』に関して完全黙秘し、

殴打や電気ショックをしましたが、完全黙秘を続けたので、

両手を縛り、足を持って、頭を浴槽の水に数回浸け、

1月14日、午前11時頃、

水責めの際に浴槽の縁で、胸部を圧迫され、
窒息死したと言うのが事実だったそうです。

ちなみに、
同様の事件は、韓国だけではなく、
日本でも、ありますが、後日…。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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