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朝鮮半島情勢(26)-韓国(16)-『全斗煥』(2)-ソウルオリンピックと北朝鮮の暗躍(2)

ソウルオリンピック招致に成功した韓国ですが、
北朝鮮と親密だったアフリカ諸国などは、

オリンピック参加を表明していなかったので、
不参加となる可能性がありました。

『全斗煥』は、
世界に自分の権力を示す絶好の機会なので、

ソウルオリンピックを成功させるため、

より多くの国々に参加してもらおうと、

北朝鮮と親密だったアフリカ諸国に閣僚を派遣し、
友好関係を築くと共に、
ソウルオリンピックの参加を熱心に、
説得して回っていたそうです。

それを聞いた、『金日成』は、

「韓国が、アフリカ諸国と仲良くなった場合、

最悪の場合、

北朝鮮が、外交的に孤立してしまう!」と言って、
非常に苛立ち、

そして、
「高麗民主連邦共和国」設立を拒否した『全斗煥』が、
以前より、腹立たしいと思っていたので、

『全斗煥』の暗殺を、計画しました。

しかし、
それを知ったソ連の最高指導者『レオニード・イリイチ・ブレジネフ』は、

「韓国と交戦状態になると、
韓国の支援国アメリカと戦うことになるが、
それだけの余力がないので、まだ時期尚早だ。」と言って、

北朝鮮に圧力をかけ、暗殺計画を、やめさせました。

しかし、1982年11月に、
『レオニード・イリイチ・ブレジネフ』が死去し、

対アメリカ強硬派の『ユーリ・ウラジーミロヴィチ・アンドロポフ』が、
ソ連の最高指導者になりました。

すると、それまで、
共産党のトップだった『レオニード・イリイチ・ブレジネフ』一族は、
共産主義とは違い、

ものすごい贅沢していたのですが、

『レオニード・イリイチ・ブレジネフ』一族は、
汚職容疑で逮捕されました。

そして、
『ユーリ・ウラジーミロヴィチ・アンドロポフ』は、
北朝鮮に有事の際の積極的支援を約束しました。

そのため、
『金日成』は、『全斗煥』の暗殺し、
韓国国内で共産革命が起こす事、
あるいは、
韓国を侵略するという計画を、
長男『金正日』に命じました。

すると、『金正日』の側近『張成沢』の
兄『張成禹』が、作戦の実行を行いました。

1983年10月、
『全斗煥』が、ビルマのラングーンにある
『アウンサン』廟に、
来ることを知った3人の北朝鮮工作員は、

『アウンサン』廟の屋根裏に、
遠隔操作式の地雷を仕掛けたそうです。

1983年10月9日、
『全斗煥』大統領一行は、
予定通り『アウンサン』廟へ向かいました。

3人の北朝鮮工作員は、

情報を聞き間違え、

一歩先に現地に到着した、

韓国の駐ビルマ特命全権大使の車を、
『全斗煥』大統領の自動車と思い、

地雷の遠隔操作ボタンを押しました。

そのため、爆発が起こり、21人が爆死し、
47人が、負傷しました。

『全斗煥』の乗った車は、
爆発の2分後に到着したので、

『全斗煥』は、助かったそうです。

ビルマ警察により、

3人の北朝鮮工作員は、
追い詰められ、銃撃戦の末、
1人死亡し、2人逮捕されました。

逮捕された2人は、作戦の全貌を自供しました。

ちなみに、
北朝鮮の主な輸出産業は、偽札や覚醒剤なので、
各国のマフィア、ヤクザとは、繋がりがありますが、

国家自体が怖いので、
北朝鮮国内には、マフィア、ヤクザは、いないそうです。

北朝鮮は、本当に危ない国です。

事件前、
ビルマは、北朝鮮との関係は、
かなり友好的なものでしたが、

ビルマの「建国の父」として、
死後も敬愛されている『アウンサン』の墓所を爆破し、
要人の暗殺に利用するという行為に、
ビルマ政府は憤慨し、北朝鮮との国交を断絶しました。

しかし、2007年には、基本姿勢が変わらないのに、
北朝鮮と国交を回復させました。

ちなみに、事件後、『アウンサン』廟は、
厳重警備がされ、閉鎖されていましたが、
2013年6月1日に一般公開が再開されたそうです。

『全斗煥』韓国大統領は、韓国に帰国し、
非常警戒令と戦闘準備態勢を発令し、

「北の金日成集団に厳しく警告する。
もう一度挑発すれば、力をもって報復する。

同族を殺害した金日成を打倒しよう。」と演説しました。

この事件により、
北朝鮮は、全世界より、ひんしゅくを買い、

北朝鮮と友好関係があり、
ソウルオリンピック参加を保留していた多くのアフリカ諸国が、
参加することになりました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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