ベトナム戦争と韓国
- 2020/02/25
- 05:05
フランスの植民地となっていました。
しかし、1940年、
第二次世界大戦で、フランスがドイツに降伏したので、
フランスが撤退し、日本軍が進駐しましたが、
1945年に日本が、敗戦しました。
そして、日本軍が去ったベトナムは、
『ホー・チ・ミン(ホーおじさん)』が、独立宣言をおこない、
「ベトナム民主共和国(北ベトナム)」が、誕生しました。
すると、フランスが再び支配を狙い、
1949年に傀儡政権の「ベトナム国(南ベトナム)」が、
誕生しました。
『ホー・チ・ミン(ホーおじさん)』は、
フランスが自国に介入するこの状況を解決しようと、
交渉をしましたが、結果は決裂し、
1946年、
フランス軍と独立を求めた「ベトナム民主共和国(北ベトナム)」が、
戦う事になりました。
「ベトナム民主共和国(北ベトナム)」は、
戦いには慣れていなかったので、
1946年6月1日に、
「ベトナム民主共和国(北ベトナム)」は、
兵隊を養成するため、
「クァンガイ陸軍中学」を、設立しました。
『グエン・ソン』将軍が校長でしたが、
教官、助教官、医務官は、
『谷本喜久男』少尉、『中原光信』少尉など、
全員、旧日本陸軍軍人でした。
「クァンガイ陸軍中学」で、学んだ兵隊たちが活躍し、
1954年、フランス軍は敗北しました。
そして、北緯17度線を停戦ラインとして、
ベトナムは、南北に分かれました。
そして、
1955年、南ベトナムでは、
ベトナムの貴族だった『ゴ・ディン・ジエム』が、
アメリカの支援を受け、
大統領となって、
「ベトナム共和国(南ベトナム)」が誕生しました。
すると、1960年12月、
『ホー・チ・ミン』が率いる「ベトナム民主共和国(北ベトナム)」は、
資本主義陣営のアメリカが支持していた
「ベトナム共和国(南ベトナム)」を、
アメリカ合衆国の傀儡国家と言って、
共産国陣営の支持を得て、
ベトナムの統一国家の建国を目指して、
ベトナム戦争が、はじまりました。
そして、
「ベトナム共和国(南ベトナム)」は、
『ゴ・ディン・ジエム』は、大統領になり、
弟『ゴ・ディン・ヌー』を、大統領顧問にしました。
『ゴ・ディン・ジエム』は、熱心なカトリック教徒だったので、
ベトナムが仏教国だったので、
カトリック国になるような政策を行い、
仏教徒を排除し、カトリック信者を優遇し、
西欧化を、急速にすすめました。
すると、反発した仏教徒らが、
反政府運動を起こしました。
そのため、
『ゴ・ディン・ジエム』は、
1963年戒厳令を布告し、
各地の寺院を襲撃し、仏教徒を弾圧したそうです。
すると、
仏教の僧侶『ティック・クアン・ドック』が、
仏教徒に対する抑圧を世界に知らせようとして、
サイゴン市内のカンボジア大使館前で、焼身自殺しました。
すると、
『ゴ・ディン・ヌー』大統領顧問の妻『マダム・ゴ・ディン・ヌー』が、
「あんなものは単なる人間バーベキューよ。
仏教の僧侶が、バーベキューになったから何だって云うの?
西欧化に抗議するのに、
アメリカ製のガソリンを使うなんて矛盾している。」と、
アメリカのテレビインタビューで言いました。
ちなみに、『マダム・ゴ・ディン・ヌー』は、
ベトナムの貴族で、仏教徒だったのですが、
結婚してから、熱心なキリスト教徒になったそうです。
この発言には、全世界で批判を浴び、
アメリカ大統領『ジョン・F・ケネディ』も、
激怒したそうです。
この発言をきっかけに、
『ゴ・ディン・ジエム』大統領に対する抗議行動が、
盛んになったそうです。
そのため、『ゴ・ディン・ジエム』大統領は、
支配力を強めるため、
ますます強固に、弾圧したので、
国民の反感は強まりました。
アメリカは、
混沌とした「ベトナム共和国(南ベトナム)」を、
このままにしては、
共産陣営の「ベトナム民主共和国(北ベトナム)」に、
飲み込まれると考え、
1963年11月、
アメリカ政府の黙認のもと、
アメリカのCIAの全面的支援を受けた『ズオン・バン・ミン』将軍が、
クーデターを起こしました。
『ゴ・ディン・ジエム』大統領と
『ゴ・ディン・ヌー』大統領顧問を殺害し、
『ズオン・バン・ミン』が、大統領になりました。
報告を受けたアメリカ大統領『ジョン・F・ケネディ』は、
「このクーデターに、アメリカは関係していない。」と、
声明を出すよう指示しました。
大統領になった『ズオン・バン・ミン』は、
ベトコンとの戦闘には注力しなかったので、
軍内部の離反を招き、
1964年1月、『グエン・カーン』将軍が、
クーデターを起こし、
『ズオン・バン・ミン』は、タイ王国へ追放されました。
1965年、軍事クーデターで、
『グエン・バン・チュー』が実権を握り、
1967年、大統領に就任しました。
『グエン・バン・チュー』は、
野党とその支持者や報道機関を弾圧したので、
「小さな独裁者」と呼ばれたそうです。
『グエン・バン・チュー』は、
クーデターを警戒するあまり、精神的に追い込まれ、
政権は、言う事を聞くものだけにしたそうです。
1965年、
アメリカ軍が北ベトナムに北爆を開始し、
ベトナム戦争は、壮絶さを、増していきました。
アメリカは、
「ベトナム民主共和国(北ベトナム)」の兵が潜んでいる森林が、
邪魔で成果を上げられないと考え、
兵が隠れる森林を枯らせて、
同時に食物を育てる土地も、破壊するという計画を立て、
動物実験で、奇形を生じさせる事が、
分かっていた枯葉剤を、上空から、広範囲に散布しました。
ちなみに、枯葉剤の影響は、現在も残っていて、
奇形の子どもが誕生しているそうです。
しかし、枯葉剤の成果はあまり出なかったので、
アメリカは、同盟国からの兵の派遣を要請しました。
そして、
ベトナム戦争期の1963年から1973年までに、
アメリカの同盟国でという事で、
韓国からも30万人以上の兵士が、派遣されたそうです。
ベトナムでは、韓国兵は、『ダイハン(大韓)』と呼ばれ、
アメリカ兵以上に、どう猛で残虐だと言われました。
確かに、その時の韓国兵は、異常な興奮状態だったので、
ベトナム人女性を強姦したり、
ストレス発散のため、民間人を、大虐殺したそうです。
韓国人とベトナム人の混血の子供は、
ベトナム語で、混血を意味する「ライ」と、
「韓国」を意味する「ダイハン」を合わせて、
「ライダイハン」と呼ばれ、
「韓国人の軽蔑すべき子」、「敵軍の子」とさげすまれ、
正確な数は不明ですが、数千ー数万人いると言われています。
韓国大統領『文在寅』が、ベトナムを訪れた時、
この問題を知っていたので、
ものすごく簡単に軽く謝罪したのですが、
ベトナム戦争に参加した韓国兵が、大暴動を起こし、
謝罪を撤回させたそうです。
そして、韓国政府は、それ以降、
この問題に関する公式の謝罪や賠償は、
一切行なわず、この問題は、タブーとされました。
すると、
イギリスの市民活動家『ピーター・キャロル』は、
韓国も慰安婦問題があるのに、
日本の慰安婦問題で騒いでいる?と気になり、
調べた結果、
ベトナム戦争中、
韓国軍司令官の家で、
食事を作る手伝いをしていた10代の女性が、
レイプされた事例や、
韓国兵がベトナムで多くの女性を強姦したと言う事や、
日本の慰安婦問題以上に、
韓国の慰安婦問題が酷いと分かったし、
韓国が犬を食べる風習がある事から、
「ライダイハン」が、「犬の子」と呼ばれて、
差別を受けている事などが、分かりました。
そのため、
「韓国の暴行の犠牲者になった人たちを救おう」と、
イギリスで、民間団体「ライダイハンのための正義」を、
設立しました。
「ライダイハンのための正義」HPには、
「ベトナムの韓国との混血児たちはライダイハンとして知られ、
今日でも日陰の生活を送っている。
われわれは、
このような形で食い物にされた、
全てのベトナム人女性、そして、ライダイハンの子供たちのため、
そして、
彼らが当然受けるべき存在の認知と
尊重のために戦う。」と書かれています。
「ライダイハンのための正義」のFBもあります。
そして、
被害女性とその子供たちをモデルにした
ライダイハン像を制作し、
在ベトナム韓国大使館前などに、
設置することを検討しているそうです。
当然この話は、韓国では、全く報道されませんでしたが、
慰安婦問題などで、日本を批判している、
現在の韓国大統領『文在寅』は、
ビックリしたと思いますが、コメントはしていません。
ちなみに、
慰安婦問題捏造報道を、
反省すると言っていた朝日新聞が、
「ライダイハンのための正義」について、
本気を出して、
大々的に報道すべきなのですが、
残念なことに、
ものすごく軽い報道しかしていません。
韓国が、日本の慰安婦問題を国連などに訴え、
日本の慰安婦関連の資料を、
ユネスコの世界遺産に登録しようと働きかけ、
アメリカでも、各地に慰安婦像を建立していますが、
でも、この事が大きな報道になると、
韓国は、慰安婦像を、すべて撤去し、
無かったことにすると思います。
日本も大々的に報道し、日本もベトナムに支援し、
ライダイハン像作製も支援し、
国際社会で、
この問題を取り上げるように考えるように、
戦略を考えればいいのですが、
ものすごく残念なのですが、
陸軍中野学校が、閉校になった今、
日本には、
そのような事を考えれる有能な軍師は、皆無です。
ちなみに、
ベトナムで戦った韓国兵は、
「被害を受けながら立派に戦った国家の英雄」なので、
黒歴史は認められないので、
この問題は、
韓国では、国家レベルの最高機密だそうです。(続く)