朝鮮半島情勢(23)-韓国(13)-『朴正煕』暗殺(2)
- 2020/02/26
- 05:05
アメリカ軍が、大打撃を受けました。
すると、アメリカ国内で、長年戦っても成果がなく、
死者ばかりが増えていくことに対して、
反戦ムードが、ものすごく強まりました。
そして、
1973年にアメリカ軍が撤退し、
1975年に、
アメリカが支持していた南ベトナムが、
無条件降伏しました。
そして、ベトナム戦争の苦い体験から、
外国への軍事関与にきわめて慎重な態度が広がり、
アメリカ軍の在外駐留にも、
批判的な世論が高まりました。
そして、1976年、
アメリカで大統領選挙が行われました。
民主党候補として『ジミー・カーター』が、
選挙公約で、「在韓米軍の全面撤退」を訴え、
出馬しました。
当初は、「ジミーって誰?」という言葉が流行する程、
知名度が低く、
『ジミー・カーター』が、大統領(President)選出馬を決断し、
母親に報告した時、
Presidentは、会長、主宰者と言う意味もあるので、
母親は、
「どこの会長(President)に、
立候補するって?」と聞いたそうです。
しかし、『ジミー・カーター』は、
クリーンなイメージと満面の笑顔をアピールし、
世論調査会社を活用し、
各州が抱える問題の情報を収集し、
それに対応するメディア戦略をとり、
現職の『ジェラルド・R・フォード』大統領を破り、
当選しました。
大統領になった『ジミー・カーター』は、
世論調査のデータを盲信する傾向があり、
ホワイトハウスに専属の調査員を常駐させたそうです。
韓国大統領『朴正煕』は、
南ベトナムを見捨てたアメリカを見た事と、
「在韓米軍の全面撤退」を言う『ジミー・カーター』が、
アメリカ大統領になったので、
将来を見据えて、
北朝鮮とアメリカ軍なしで戦うためには、
核兵器が必要と考えたそうです。
その事を知ったアメリカは、
核兵器の拡散を防ぐため、
韓国大統領『朴正煕』に対して、
核兵器開発計画を、
やめるように勧告や警告をしましたが、
無視し続け、
核開発の野望を、捨てませんでした。
そのため、
韓国大統領『朴正煕』は、
アメリカにとって、
非常に厄介で、とても邪魔な存在でした。
1976年1月に、
韓国大統領『朴正煕』は、
アメリカの反対を押し切り、
カナダから重水型原子炉CANDUを、
1基購入する契約を結びました。
重水型原子炉CANDUを、
1年間稼働させると、
原爆の原料プルトニウム239が、
250kg生産されるので、
韓国大統領『朴正煕』は、
それを、フランスの協力を得て、
核兵器にしようと考えたのでした。
しかし、
アメリカは、それを許さず、
関係機関に圧力をかけました。
韓国大統領『朴正煕』は、
1977年12月に核燃料開発公団を設立しました。
核燃料開発公団は、
国内外の原子力技術者を総動員し、
ウラン濃縮技術開発を、
国家プロジェクトとして進め、
1980年までに核燃料の国産化を目指しました。
そして、1978年4月、
韓国大統領『朴正煕』念願の韓国初の原子力発電所が、
釜山で稼働し、原発国家の仲間入りをしたそうです。
1978年9月に、韓国は、フランスの技術支援を受け、
射程180kmの地対地誘導弾発射実験に成功しました。
その事を知ったアメリカは、1981年には、
韓国が、原子爆弾製造が、可能となると分析しました。
そして、
『ジミー・カーター』が、
韓国で、韓国大統領『朴正煕』と会談した時、
韓国大統領『朴正煕』が、
「韓国は、アメリカの求めに応じて、
ベトナムに、韓国軍を派遣しました。
しかし、
まだ、韓国は何一つ褒美を、もらっていません。」と言いました。
その場は、和やかに会談を終えました。
しかし、後日、側近が、
『ジミー・カーター』が、自室に戻ってから、
「奴を殺せ!」と怒鳴ったことを、明かしました。
そして、
アメリカ合衆国大統領『ジミー・カーター』は、
韓国大統領『朴正煕』の考える、
核開発を許す事が出来ないので、
アメリカ中央情報局(CIA)に、
どのような手段を使ってもいいので、
韓国の核兵器開発計画を中止するように、
指示を出したそうです。
そして、
韓国大統領『朴正煕』の暗殺事件前夜、
ニューヨークでのアジア協会主催の夕食会で、
暗殺事件が起きる5か月前まで、
韓国にいた駐韓米軍司令官だった『ジョン・ベッシー』は、
「アメリカの対韓関係が、
予想できない方向に発展していくであろう事は、
疑う余地がない。
今後、
特別な事件が起こったとしても、
現在の対韓関係を、
冷戦の遺産としてのみ捉えてはならず、
全てにおいて、
将来に大きな期待を、
もたらすものと考えるべきである。」と、
『朴正煕』の暗殺を、
予感していたような事を言ったそうです。
そして、
アメリカが懸念していた韓国の核兵器開発計画は、
『朴正煕』の暗殺によって、
挫折したそうです。(続く)
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