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朝鮮半島情勢(17)-韓国(7)-『朴正煕』(6)-『金大中』(2)

1973年、7月、
韓国中央情報部『李厚洛』は、

『金大中』が、
講演するため東京にいるという事を聞き、

かねてから考えていた計画を、
実行する事にしました。

『金大中』は、東京の知人より、

在日韓国人のヤクザが、
韓国中央情報部の依頼により、
狙っていると忠告を受けたので、

日本人の偽名を使い、
2日ごとに宿泊するホテルを変えたそうです。

8月8日、『金大中』は、
東京の九段下のホテルグランドパレスで、

韓国民衆のための新しい進路を目指し、
結成した「民主統一党」党首『梁一東』と、
会談したそうです。

そして、
『金大中』が、部屋を出た所で、

7人の韓国中央情報部 の工作員に、
背後から襲われ、空部屋に押し込まれ、

クロロホルムを嗅がされました。

そして、『金大中』は、意識を失い、

車に乗せられ、
韓国の工作船「龍金号」のある神戸に、
連れて行かれました。

そして、神戸港から、
韓国の工作船「龍金号」で、出航しました。

そして、
『金大中』は、足に重りをつけられ、
海に、投げ込まれそうになったそうです。

ちなみに、
事前にアメリカ政府と日本の総理大臣『田中角栄』は、

「殺人をしないこと」を条件に、
『金大中』拉致を了承済だったとも言われています。

しかし、日本政府は、
韓国中央情報部 の工作員が、
『金大中』を殺して、
日本に罪を着せようとしていることを知り、

殺害を阻止しようとして、
日本の海上保安庁のヘリコプターが、
韓国の工作船「龍金号」の上を旋回し、
照明弾を投下しました。

すると、
韓国中央情報部 の工作員は、

日本政府に、
暗殺計画全容がばれたことを知ったので、

『金大中』の殺害を断念し、

韓国の工作船「龍金号」で、
超高速で、韓国領海内に逃げ込み、

その後、『金大中』は、ソウルで解放されました。

後日、『金大中』は、事件の事を聞かれた時、
「暗闇の中でも尚 明日の日の出を信じ 
地獄の中でも尚 神の存在を疑わない。」と言いました。

日本の警察の捜査により、

ホテルの現場にあったのは、
駐日本韓国大使館一等書記官『金炳賛』の指紋で、
犯行に使われた車は、駐日本韓国大使館の車という事が、
判明しました。

しかし、
韓国大使館は、外交特権を盾に、調査の協力を拒否しました。

そして、
「少なくとも4つのグループ、
総勢20人以上が事件に関与し、

『朴正煕』と関係の深かった
在日韓国人ヤクザの山口組系東声会
会長『鄭建永(日本名:町井久之)』が、

当時、ホテルのフロアを、ほとんどすべて借り切り、
韓国中央情報部に協力した。」という事が分かりました。

在日韓国人ヤクザ『鄭建永(日本名:町井久之)』は、
日韓両国の政財界と結びつき、

靴ひもの左右の長さが1mmでも違うと、
我慢ができない潔癖性ですが、

乱暴者で、敵対者を、誰でも苛烈な拷問を行い、

人を殺す事をなんとも思っていないので、

「銀座の虎」、「雄牛」と呼ばれ、

本当に、超危険な人物なので、

『鄭建永(日本名:町井久之)』が弱ってくるまで、
マスコミは、取り上げられなかったそうです。

そして、
2002年、『鄭建永(日本名:町井久之)』は、
東京都内の病院で、糖尿病と心不全のため死亡したので、

現在も、詳細は不明ですが、事件の概略を、
マスコミが流すことが、出来るようになったそうです。

当初、韓国政府は、
『金大中』拉致事件の関与を否定していましたが、

2006年、韓国政府は、『金大中』拉致の関与を認めました。

そして、
当初、『金大中』を、在日韓国人ヤクザに依頼して、
日本人がやったという事にして、暗殺することが、
韓国中央情報部で検討されていましたが、

在日韓国人でも、日本に住んでいるので、
裏切る事も考えられるという事で、

直接、韓国中央情報部が、行うことにしたそうです。

日本国政府は、
『金大中』拉致事件に対し、

韓国政府に、
日本の主権侵害に対する公式謝罪と
日本の捜査当局による関係者の聴取を求めました。

韓国は、
戦時中の日本の李氏朝鮮にしたことに対して、
謝罪を求めています。

以前、日本は謝罪と賠償金の支払いと、
経済援助を行っていますが、

韓国は、さらに何度も、お金と謝罪を求めています。

しかし、
韓国は、現在の日本の主権侵害に対して、
全く謝る気はありません。

韓国大統領『文在寅』や
アメリカ大統領『ドナルド・ジョン・トランプ』みたいに、
日本も強気の人が、首相になれば良いのかも?

でも、そうなると、戦争になる可能性が出てくるので、
今のまま、穏やかな感じが良いかも?

『李厚洛』は、『金大中』拉致事件が、

日本にばれなければ、

大出世していましたが、

日本にばれたので、

中央情報部長職を、解任されたそうです。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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