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朝鮮半島情勢(1)-北朝鮮(1)

日本が、朝鮮半島を、統治していた時代、

現在の北朝鮮の建国の父
『金日成(金成柱)(キム・イルソン)』は、

中国共産党指導下の抗日パルチザン組織の
東北抗日聯軍に、身を投じました。

1937年6月4日、

東北抗日聯軍の第1路軍第2軍第6師・師長で、
『金日成(キム・イルソン)』率いる部隊が、
普天堡にあった駐在所、事務所、消防署に夜襲をかけ、
日本人を殺害したりして、
現在の価格で、約2億4千万円の損害を与えたそうです。

そのため、
日本は、『金日成(キム・イルソン)』討伐のため、
多額の懸賞金をかけたので、

無名だった『金日成(キム・イルソン)』は、
一躍、有名人になりました。

ちなみに、
賞金額は、第1路軍首脳部の
『魏拯民』と『呉成崙』には、約3百万円、

襲撃した現場指揮官『金日成(キム・イルソン)』と『崔賢』には、
約1千万円だったそうです。

ちなみに、
在満韓人祖国光復会の手引きによって、
侵入ルートの確保が出来て成功したのですが、

在満韓人祖国光復会を使って、
一番重要な裏工作をしたのは、『呉成崙』でしたが、

北朝鮮では、
『金日成(キム・イルソン)』が、
やった事になっています。

そして、
日本の大規模討伐作戦により、
25歳だった『金日成(金成柱)(キム・イルソン)』は、
追い詰められたので、
再起を目指し、ソ連領に逃げたそうです。

ただし、
普天堡の住民らによって目撃された
東北抗日聯軍の
第1路軍第2軍第6師・師長『金日成(キム・イルソン)』は、
40歳前後と報告されている事と、

中国共産党の史料では、
第1路軍第2軍第6師・師長『金日成(キム・イルソン)』と、

ソ連に逃げ込んで、
後日、北朝鮮の指導者になる『金日成(金成柱)(キム・イルソン)』は、
同一人物では、ないとされているそうです。

しかし、
ゲリラ活動をしている人物を特定すると狙われるので、

情報撹乱目的で、
誤った供述をすることも珍しくないので、
本当の所は、グレーゾーンだそうです。

そして、1942年、
『金日成(金成柱)(キム・イルソン)』は、
中国共産党指導下の
抗日パルチザン組織が主体の中国人の2個大隊と
朝鮮人の1個大隊が含まれていた、
極東ソ連軍第88特別狙撃旅団に配属されました。

極東ソ連軍第88特別狙撃旅団の旅団長は、
中国人の『周保中』でした。

『金日成(金成柱)(キム・イルソン)』は、

『周保中』とは、1930年代頃から、
抗日活動を通じて知り合いでした。

『周保中』は、
『金日成(金成柱)(キム・イルソン)』と出会うたび、
「道は幾筋にも分かれていても、大門は一つ。」と
言っていました。

『周保中』は、
極東ソ連軍第88特別狙撃旅団で、
再び出会った『金日成(金成柱)(キム・イルソン)』に対し、

「日本が、『金日成(キム・イルソン)』に、
莫大な懸賞金をかけていると聞きましたが、
苦しい局面を、よく切り抜けれましたね。

どんなに危険な状況だったかは、
私には、よく分かります。

君が来るのを、今か今かと、待っていました。

こんなに元気な姿で、
ソ連で、出会えるとは、うれしいかぎりです。

昔、私が言ったではありませんか。

道は幾筋にも分かれていても、

大門は一つだと。」と言って、大笑いしたそうです。

そして、『周保中』の推薦により、
『金日成(金成柱)(キム・イルソン)』は、朝鮮大隊の大隊長、
労農赤軍(ソ連陸軍)大尉に、任命されました。

そして、『金日成(金成柱)(キム・イルソン)』は、
ソ連軍将校の指導の下で訓練・教育を受けたそうです。

その当時のソ連軍将校『ウラジーミル・トルスチコフ』は、

「『金日成(金成柱)(キム・イルソン)』は、
親しみやすく、開放的で陽気で、いい男だ。」と言っています。

そして、『金日成(金成柱)(キム・イルソン)』は、
『金正淑(キム・ジョンスク)』と出会い、結婚し、
『金正日(キム・ジョンイル)(ユーリイ・イルセノヴィチ・キム)』が、
生まれました。

極東ソ連軍第88特別狙撃旅団は、

ソ連の極東戦線情報科に直属し、

満州、朝鮮半島における偵察、破壊工作、
ソ連軍と平壌の住民との間の連絡役だったので、

直接、日本とは戦わなかったそうです。

そして、日本敗戦後は、解散したそうです。

1945年8月17日、日本敗戦後、朝鮮は、

38度線以北にいた日本軍は、ソ連軍に、

38度線以南にいた日本軍は、アメリカ軍に、
降伏することが決定されました。

そして、ソ連は、ソ連軍の中の朝鮮人で、最も階級が高かった、
極東ソ連軍第88特別狙撃旅団の
『金日成(金成柱)(キム・イルソン)』労農赤軍大尉を、

平壌守備隊司令官の顧問に任命し、
38度線以北の管理を、任せる事にしました。

そして、
1945年10月14日、
平壌で開かれた「ソ連解放軍歓迎平壌市民大会」で、
ソ連の『イワン・チスチャコフ』少将は、

『金日成(金成柱)(キム・イルソン)』労農赤軍大尉を、

国民的英雄で、
勇名をはせたパルチザン指導者として紹介したそうです。

そして、
『金日成(金成柱)(キム・イルソン)』が、
ソ連軍への支持を演説で表明しました。

そして、
北朝鮮の最高指導者が、誕生し、
伝説がつくられる事になりました。

その後、
『金日成(金成柱)(キム・イルソン)』は、

「民衆というものは、
何かを崇拝しなければならない。」というのが、
口癖になったそうです。

そして、冷戦が激化し、
統治者のアメリカ軍とソビエト連邦軍が、
統一的な施策を行いませんでした。

そして、1948年、朝鮮は、

38度線以北は、
共産主義陣営の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、

38度線以南は、
資本主義陣営の韓国(大韓民国)となりました。(続く)



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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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