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『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(17)

その後、硫黄島では、
生き残った日本兵が地下陣地に潜伏していたので、

アメリカ軍は、硫黄島の戦いは終わったと言って、
投降を促したそうです。

投降する日本兵も、いましたが、

投降を拒否する日本兵も、沢山いたそうです。

そのため、アメリカ軍は、
日本兵が潜伏していると思われる壕の入り口を埋めたり、
ガソリンを流し込んで、火を放ったりして、
一つ一つ潰していったそうです。

そして、アメリカ軍は、
ロス五輪金メダリストだった『西竹一(バロン西)』男爵が、
硫黄島に来ている事を、知っていたので、

『西竹一(バロン西)』男爵がいると思われる場所で、

「バロン西、出てきなさい。

あなたは、ロサンゼルスで限りなき名誉を受けた。

降伏は恥ではない。

我々は、勇戦したあなたを尊敬を持って迎える。

世界は、君を失うにはあまりにも惜しい。」と、

何度も投降を呼びかけましたが、
応答はなかったそうです。

そして、
1945年3月、
『西竹一(バロン西)』男爵の戦死が、確認されました。



そして、
『西竹一(バロン西)』男爵のポケットには、
『ウラヌス』のたてがみが、
大切に保管されていたそうです。

その『ウラヌス』のたてがみは、
アメリカ軍が、回収したそうです。

そして、『西竹一(バロン西)』男爵が、
北海道の本別町の陸軍省軍馬補充部で勤務していた関係で、

現在、『ウラヌス』のたてがみは、
北海道の本別町歴史民俗資料館にあるそうです。



ちなみに、北海道の本別町は、豆の町で有名です。

ちなみに、
自分は、北海道は、何度も行ったことがあります。

学生時代、
バイクと車で、野宿等しながら、2回周遊し、

動物園勤務時は、
厳寒時のゾウとキリンの冬期間の管理法について、
北海道のおびひろ動物園で、長期研修しました。

その時の話も、機会があれば、後日…。

そして、
本別町歴史民俗資料館の『ウラヌス』のたてがみを見て、
『西竹一(バロン西)』男爵の話を知り、興味を持ちました。

そして、
『西竹一(バロン西)』男爵の死亡が確認されてから、
数日後の1945年3月28日、
『ウラヌス』は、死亡したそうです。

その後、
『ウラヌス』の墓は、第二次世界大戦の時、
空爆により、吹き飛んだそうです。(続く)



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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖が笛が得意だったのと、
子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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