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日本本土空襲-『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(16)

そして、
1944年11月29日より、
B29爆撃機が、頻繁に東京に襲来し、
106回の空襲が行われましたが、
最初は、小規模で行われていたのですが、

硫黄島の戦いが、終盤になり、

硫黄島の空港が、
アメリカに占領されてから、

日本が心配していた通り、

硫黄島の空港から、
沢山の爆撃機や護衛機が飛び立ち、

空爆は、大規模になって、

特に、
1945年3月10日、
4月13日、4月15日、5月24日、5月25日-26日は、
超大規模だったそうです。

軍事工場だけではなく、

日本人の士気を弱めるため、

日本の家が、どのようにしたら効果的に燃えるかを、

ユタ州のダグウェイ実験場に、
日本に18年在住した建築家に、
日系人の多いハワイから資材を取り寄せ、
日本式家屋を建築し、

何度も、実験を繰り返し、
効果的な爆撃方法を研究した上で、

真珠湾や硫黄島の復讐と言って、

人口密集地を狙ったので、

1日だけで、

死者数、10万人以上、
罹災者、100万人以上だった事もあるそうです。

ちなみに、
初めての日本本土空襲は、
1942年4月18日、
『ジミー・ドーリットルJames "Jimmy" Harold Doolittle』が、
指揮した
アメリカ軍のB-25爆撃機による
ドーリットル(Doolittle)空襲ですが、

死者は、39人だったそうです。

ちなみに、
自分の好きな動物の医者のドリトル(Dolittleドーリットル)先生は、
元々は、人間の医者でしたが、
人間の患者にたいしては、
ほとんど治療しなかったので、

do little(訳:ほとんど、治療しない)が、由来だそうです。

ちなみに、
当時の第32代アメリカ大統領
『フランクリン・デラノ・ルーズベルト』は、

差別主義者で、

病的な程、日本人が大嫌いで、

「日本人は、約2千年、発達が遅れている。」と
本気で信じていて、

戦争中は、
ドイツのユダヤ人収容と同じく、

アメリカでは、日系人の財産を没収し、
強制収容政策を、推し進めていたそうです。

ちなみに、封筒を開封する時、
日本兵の腕の骨から作られたレターオープナーを、
使用していたそうです。

そして、戦争では、
白人のドイツ人ではなく、

黄色人種の日本に対して、

実験として原爆だけではなく、

細菌兵器の実験材料としても、
考えていたそうです。

そのため、
細菌兵器の炭疽菌を充填するための爆弾容器が、
大量に発注されていました。

だから、
戦争がもう少し長引けば、

日本には、

原爆を数発落として、

そして、炭疽菌がばらまかれていたそうです。

硫黄島が、もう少し早く陥落していたら、
そうなっていたかも?

危なかった…。

ちなみに、
『ダグラス・マッカーサー』は、

「日本が、1945年6月に、
ソ連に和平仲介を頼んだと知った。

私は参謀達に、戦争は終わりだ、と告げた。

ところが、第32代アメリカ大統領
『フランクリン・デラノ・ルーズベルト』の死後、
政権を引き継いだ『ハリー・S・トルーマン』は、
突如、日本に原爆を投下した。

私は投下のニュースを聞いた時、
激怒した。」 と言っています。

第31代アメリカ合衆国大統領
『ハーバート・クラーク・フーヴァー』は、

「7月26日に、ポツダム会議が、
日本に対して最後の通告を発するまで、

日本は、6ヶ月にもわたって、
和平について打診していた。

日本は、原爆投下の2週間前に、
ソ連に対して、
和平の明らかな意向をもっていることを、
知らせていたし、

日本の外交電文を、
傍受解読していたので、降伏の意思を、
『ハリー・S・トルーマン』は、知っていた。

しかし、それを無視して、
『ハリー・S・トルーマン』は、
日本に対して、原爆を投下するように命じた。

原爆投下の主目的が、

戦闘員ではなく、

女子供老人などの非戦闘員の殺傷であったことを、
否定することはできない。

この人道に反する行為は、
『ハリー・S・トルーマン』そして、
アメリカの政治家の質を、疑わせるものだ。

そもそも、
アメリカは、日本を挑発しなければ、
真珠湾を攻撃されることはなかっただろう。

原爆は、
アメリカの歴史において、未曾有の残虐行為だった。

アメリカ国民の良心を、永遠に責むものである。」 と言っています。

アメリカと仲の悪い

イランの『アリー・ラリジャニ』国会議長が、
長崎原爆資料館を見学した後、

「広島に原爆を投下して、
核兵器の影響の大きさを知りながら、
長崎にも落とした。

ホロコーストよりも、
アメリカの核兵器使用を問題にするべきだ。

世界に一つでも原爆が存在すれば、
人類への脅威だ。

人々は、核のない世界に向けて立ち上がるべきだ。

原爆投下こそが、
アメリカが引き起こした真のホロコーストだ。」と言っています。

自分も長崎原爆資料館を見た事がありますが、
考えさせられました。

日本人は、原爆を落とされても、アメリカが好きですが、

他の国、
特に、中国や韓国に原爆を落とされていたら、
中国人や韓国人は、

アメリカを、
絶対に好きにならなかったと思います。

でも、
原爆を日本に落とした事は、

現在のアメリカでは、

残念と思う人は少なく、

無関心の人が、ほとんどで、

必要だったし、
良かったと考えている人も多いそうです。

ちなみに、第32代アメリカ大統領
『フランクリン・デラノ・ルーズベルト』と親戚ではありませんが、

ルーズベルト繋がりの
第26代アメリカ大統領の『セオドア・ルーズベルト』は、

最初は、
ハーバード大学の同窓生『金子堅太郎』などがいたりしたので、

日本贔屓で、日本文化に深い理解を示し、

アメリカ人、初の柔道の茶帯取得者だそうです。

『東郷平八郎』の聯合艦隊解散之辞に感銘を受け、
その英訳文を軍の将兵に配布したり、
忠臣蔵を愛読していたそうです。

そして、
『新渡戸稲造』の「武士道」に感銘し、
多くの友人にプレゼントしたそうです。

しかし、
日露戦争で、日本が勝利してから、

日本を知っているだけに、脅威を感じたそうです。

そして、
「ジャップ(日本)は、ロシアに勝ってから実に生意気だ。

しかし、こちらが大艦隊を持ってさえいれば、
奴らだってそう簡単には手出しはできない。」と言い始め、

最終的には、日本脅威論者になったそうです。

ちなみに、
第26代アメリカ大統領の『セオドア・ルーズベルト』は、
平等、友愛主義者ではありません。

『セオドア・ルーズベルト』は、

「インディアンに対する虐殺と土地の強奪は、
回避不能だったし、

最終的には、有益なことでした。

死んだインディアンだけが、
良いインディアンである。とまでは言いません。

しかし、10人インディアンがいたとして、
そのうち、9人まではそうじゃないかと思っています。

それと、私は、あまり10人目については、
真剣に考える気になれません。」と言っているので、

インディアンに対しては、人種差別主義者でした。

でも、自分は、
アメリカは、大好きで、ロサンゼルス、
ラスベガス、ハワイなどに、
行ったことがありますが、とても良かったです。

ちなみに、
ロサンゼルスは、もともとは、メキシコだったのが、
戦争で、アメリカ領へ、

ハワイは、もともとは、ハワイ王国だったのが、
侵略で、アメリカ領へ、なったそうですが、
もう少しで、日本もアメリカ領に、なっていたかもしれません。

2016年、自由民主党所属の『丸山和也』議員は、
「日本が、アメリカの51番目の州になれば、
集団的自衛権は、全く問題にならないし、
拉致問題も起こらなかった。」と発言しています。

でも、
1945年5月8日に、
ナチス・ドイツが降伏した時より、
早く日本が降伏していれば、

ソ連は、
ナチス・ドイツを敗戦させた後に、
参戦するとなっていたので、

1945年8月9日、ソ連が、
一方的に日ソ中立条約を破棄し、
北方領土が、不法占領されましたが、

『山田乙三』陸軍大将は、
「ソ連軍の攻勢は時間の問題と思ったが、
まだ先のことであろうとの気持ちだった。」と、
甘い事を言っています。

原子爆弾は、
1945年8月6日、広島市、
1945年8月9日、長崎市に投下されましたが、
それも、無かったと思います。

でも、原爆が落とされなかったら、

世界は、
アメリカの原爆の怖さを知らないので、

資本主義と共産主義の冷戦が激化し、

第三次世界大戦が起こり、
原爆の効果を確かめたいアメリカが、
他の国に、原爆を落としていたかも?

でも、いまさら言っても遅いですが、
当時、日本は、アメリカに挑発されていましたが、
そこは我慢して、第二次世界大戦に、
参加しては、いけなかったと思います。(続く)



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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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