硫黄島の戦い-『栗林忠道』(3)-『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(16)
- 2020/01/11
- 05:05
優れた軍人でしたが、同時に良き家庭人でした。
硫黄島に行く前、
次女の『栗林たか子』9歳が、
大泣きしていたそうです。
そのため、
『栗林忠道』は、
硫黄島着任後に送った手紙には、
「お父さんは、
お家に帰って、
お母さん(妻『栗林義井』)とたこちゃん(『栗林たか子』)を連れて、
町を歩いている夢などを時々見ますが、
それは、出来ない事です。
お父さんは、たこちゃんが大きくなって、
お母さんの力になれる人に、
なることばかりを思っています。
体を丈夫にし、勉強もし、
お母さんの言いつけをよく守り、
お父さんに安心させるようにして下さい。
戦地のお父さんより。」 とイラスト付きで書いています。
その他、家族には、
「母(妻『栗林義井』)の言い付けを守り、
私が死んだ後、母を中心に、
母を助け、お互いに励ましながら、
元気に暮らして行くように。
特に太郎は生まれかわったように、
強い逞しい青年となって、
母や妹達から信頼されるようになることを、
ひとえに祈ります。
洋子は、
割合しっかりしているから安心しています。
お母ちゃんは、
気が弱い所があるから可哀相に思います。
たこちゃん(『栗林たか子』)は、
可愛がってあげる年月が、
短かった事が残念です。
どうか身体を丈夫にして、大きくなって下さい。
追伸
家の整理は大概つけて来た事と思いますが、
お勝手の下から吹き上げる風を、
防ぐ措置が、出来なかったのが残念です。」と、
出征前に、
お勝手の隙間風を防ぐ措置が、
出来なかった事を気にかけ、
風の防ぎ方の説明を、
詳細に絵に描き送っています。
その他にも、『栗林忠道』は、
絵が得意だったらしく、
風呂の湯垢の取り方、
妻の赤ギレや子供への小遣いの心配など、
家族の生活を心配する手紙を、
約8ヶ月間で、41通イラスト付きの手紙を送っています。
東京都新宿区にある防衛省の市ヶ谷記念館には、
『栗林忠道』が、書いたイラスト付きの手紙が、
展示されています。



そして、
『栗林忠道』が、書いたイラスト付きの手紙は、
「玉砕総指揮官」の絵手紙」、
「硫黄島からの手紙」という本にも、なっています。
ちなみに、『栗林たか子』さんは、
成人され、女優になり、
映画監督『新藤孝衛』と結婚され、
川口ふたば幼稚園を創立し、
園長を、されていたそうです。
現在は残念ながら、
お亡くなりになったそうです。
ちなみに、
『栗林たか子』さんの長男は、
「日本の領土を守るため行動する議員連盟」の会長で、
自由民主党の政治家『新藤義孝』さんです。(続く)


- 関連記事