硫黄島の戦い-『栗林忠道』(2)-『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(15)
- 2020/01/10
- 05:05
計画していた地下トンネルの4割まで作ったところで、
海上に、アメリカ軍艦が姿を現したそうです。
そして、
6隻の戦艦、5隻の巡洋艦による艦砲射撃、
多数のロケット弾が撃ち込まれ、
その上、
航空機攻撃による爆撃が、
3日間、24時間絶え間なく、続けられました。
そして、アメリカ海兵隊は、
日本軍の抵抗を受ける事なく、
1945年2月19日に、
アメリカ海兵隊は、上陸しました。
そして、静かな海岸で、
「アメリカ海兵隊と戦える日本兵士は、
まだ、残っているのか?」と、軽口をたたいて、
上陸し、進んでいると、
潜んでいた日本軍による、集中攻撃が、始まりました。
アメリカ海兵隊は、艦艇の砲撃により、
日本軍が壊滅状態になっていると信じ、
油断していた事と、
柔らかい砂浜に足を取られたので、
4人に1人が、死傷という大打撃を受けたそうです。
揚陸した戦車56両のうち、28両が撃破されたそうです。
そして、
『西竹一(バロン西)』男爵は、
敵味方隔てず、傷ついた人は、
乏しい医薬品を集め、治療をしたそうです。
その時、
米兵捕虜が、手紙を持っていたので、
見せてもらったそうです。
そこには、母国アメリカで、
我が子を気遣う母の切々たる思いが、
書かれていたそうです。
すると、『西竹一(バロン西)』男爵は、
「どこの国でも、人情には変わりねえな。」と、
つぶやいたそうです。
そして、時間の経過と共に、
圧倒的な物量のアメリカ軍が優勢になり、
上陸4日後には、
日本軍の拠点として考えられていた
硫黄島の摺鉢山に星条旗を立て、
アメリカ軍は、これで、
占領は、ほぼ完了と考えたそうです。
『栗林忠道』ら日本軍守備兵は、
日本大本営から、
「アメリカ軍撃退が不可能な場合、玉砕せよ。」と、
命令を受けていましたが、
「アメリカ軍撃退が不可能となっても、
アメリカ軍に、
できるだけ多くの血と弾薬と時間を消費させて、
自分たちの家族がいる本土が、
爆撃されるのを、
出来る限り遅らせたい。」と考え、
最期の一兵になっても、戦う事にしました。(続く)


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