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硫黄島の戦い-『栗林忠道』(1)-『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(14)

硫黄島のアメリカ軍の上陸部隊、第56任務部隊を指揮し、
上陸作戦のエキスパートとして、「水陸両用戦の父」と呼ばれ、

そして、荒っぽい性格で、すぐに怒鳴ることから、
「マッド(狂人)・スミス」、
「ハウリン・マッド(わめき散らす狂人」との異名を持つ、
『ホーランド・マクテイラー・スミス』は、

硫黄島の攻略前に、

「硫黄島の占領は、5日で終わる。
死傷は、1万5千人を覚悟している。」と、豪語していましたが、

実際の戦いは、予想をはるかに超えるもので、

戦死傷者の数は、日本軍より、
アメリカ軍の方が多いと言う、
激しい長期戦、消耗戦となりました。

何故なら、
硫黄島の最高指揮官の『栗林忠道』は、
アメリカ留学の経験もあり、
アメリカの戦い方を、熟知した名将だったからです。

硫黄島の戦いは、『クリント・イーストウッド』が監督した映画、
「硫黄島からの手紙」、「父親たちの星条旗」などが有名です。

ちなみに、
映画「硫黄島からの手紙」は、

『栗林忠道』の手紙をまとめた、
「玉砕総指揮官の絵手紙」に、基づいているそうです。

ちなみに、『クリント・イーストウッド』は、
「父親たちの星条旗」は、
アメリカ人から見た硫黄島の戦いが、テーマだったので、
自分で監督しましたが、

「硫黄島からの手紙」は、
日本人から見た硫黄島の戦いが、テーマだったので、
日本人監督が良いと思い、
探しましたが、

最適な監督がいなかったので、

「黒澤明監督なら完璧なのに…」と言って、
仕方がないので、自分で監督したそうです。

戦後、
軍事史研究家やアメリカ軍人に対し、

「第二次世界大戦における日本軍人で、
優秀な指揮官は誰?」と質問した際は、

『栗林忠道』の名前を挙げる人物が多いそうです。



1944年6月8日、109師団長『栗林忠道』は、

妻『栗林義井』に、

「アメリカを知っているが、
アメリカは、戦ってはいけない国だ。

今度の戦いは、
骨も残らないかもしれない。」と、言い残してから、

硫黄島に着任したそうです。

『栗林忠道』は、島民を内地に避難させてから、

硫黄島を探索し、
地形を頭に叩き込み、作戦を考たそうです。

『栗林忠道』は、

大本営にいた、

陸軍士官学校入校の同期で、
「歩兵戦の神」と言われた『千田貞季』を、

この困難な作戦を遂行するためには、
必要という事で、呼んだそうです。

『千田貞季』は、日頃から、
「いさぎよく散ることこそ 武士道の道」と、
言っていましたが、
「硫黄島で死ぬために、来た。」と言いながら、
硫黄島に来ました。

そして、『栗林忠道』らと一緒に、作戦を考えたそうです。

今まで、日本軍は、島を守る時の戦いとして、
上陸を図る敵に対し、
水際で攻撃を加え、上陸を阻止する事を前提に、
作戦が考えられ、

上陸したならば、突撃攻撃で奪還し、

それも失敗したら、万歳突撃を行い、
自滅していました。

『栗林忠道』らは、
硫黄島の日本の飛行場を守り、
本土空襲を、1日でも遅らせるため、

今までとは、違う作戦を考えました。

「アメリカ軍は、

上陸の際、四方を艦艇で包囲して、
頭上を飛行機で、覆い尽くすだろう。

そうなれば、
アメリカ軍を水際で叩くことは出来ない。

そのため、
海岸から離れた位置に陣を敷き、

持久戦に持ち込むべきだ。」と考え、

上陸を図る敵に対する水際攻撃、
無謀な突撃攻撃をしないで、

内陸部まで誘い込んで、
臨機応変に奇襲、待ち伏せ、
後方支援の破壊を、行うと決めました。

そして、
日本から鉱山技師も呼ばれ、

複合的な陣地を作り、
司令部も含め、施設を地下深くに構築し、
トンネルでつないで、地下を要塞化する事にし、

トンネルを掘り始めたそうです。

しかし、硫黄島は火山島なので、
地下を掘り進めると温度が高く、
硫黄ガスも発生するなど、
劣悪な環境の中、トンネルを掘ったそうです。

この時、『栗林忠道』は、
兵たちを励ますために、工事現場を回ったそうです。

そして、『栗林忠道』は、
日本本土から送られてきた、
貴重な生野菜や水を、平等に分けたそうです。(続く)



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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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