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愛犬物語-第1話-丁未の乱(1)

映画にもなった
漫画家 村上たかし氏の『星守る犬』を読んで、
『日本書紀』に書かれている犬の話を、
思い出したので、その話をします。

今から1400年位前、
仏教派と神道派との権力闘争のため、
蘇我氏と物部氏が戦った『丁未の乱』時に、
それは起こりました。

激しい戦いでしたが、
仏教推進派の蘇我氏が勝ちました。

物部氏に仕えていた
『捕鳥部万(鳥取部万)(捕鳥部萬)』は、
普段は、朝廷に献上するため、
愛犬の白い犬と一緒に、
弓矢で、鳥を捕ったり、
物部氏の館を警護していました。

そして、
『丁未の乱』の時、『捕鳥部万』は、
100人の弓矢隊の隊長として、
活躍していました。

しかし、主君『物部守屋』が討たれました。

そのため、『捕鳥部万』は、部隊を解散した後、

1人で馬に乗り、家族のいる
茅渟県有真香邑(現在の大阪府岸和田市)に、
向かったそうです。

そして、妻や家族としばらく過ごしました。

でも、すぐに追討軍が追ってきたので、山に隠れました。

しかし、数百人の兵からなる追討軍に囲まれました。

『捕鳥部万』は、得意の弓矢で、
次々に追討軍の兵士を倒していきました。

しかし、追討軍が「逆臣を逃がすか!」と言って、
弓矢で一斉射撃しました。

すると、
矢が『捕鳥部万』の膝に刺さりました。

『捕鳥部万』は、

「今まで、物部氏に仕えて、
朝廷のために、身を粉にして働いて来た。

そして、
朝廷のために自分の勇をあらわそうとしたが、

かえってこの窮地に追い込まれてしまった。

それを、逆臣とは何だ!

何故、捕まえて、殺そうとするのか?」と叫んだそうです。

しかしその後、力尽き自刃したそうです。

すると、何処からともなく
『捕鳥部万』の愛犬の白い犬が来たそうです。

そして、
『捕鳥部万』の死体をくわえて、
土を掘り埋めたそうです。

そして、そのそばを離れませんでした。
他人が近寄ると、
低い唸り声を上げて追い払ったそうです。

そして、その場を一歩も動かず、
遂には餓死したそうです。

その報告を受けた『崇峻天皇』と朝廷は、
この白犬の行動に感動し、
『捕鳥部万』の縁者に、
墓を作るように命じたそうです。

そして、その『大山大塚古墳(捕鳥部万の墓)』と
『義犬塚古墳(義犬塚)(萬家犬塚)(白犬の墓)』は、
岸和田市にあります。

その子孫の方が、
今も岸和田市に住まれていて、墓を守り、

毎年、命日には、
『捕鳥部万を偲ぶ集い』を行っているそうです。

そして、
物部氏の子孫と捕鳥氏の話がありますが、
詳しい話は動物病院HP歴史の話を見てください。

ちなみに、自分の先祖は、
蘇我氏側で戦っていました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館・動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北・沖縄の
動物病院で勤務しました。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
筆記試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、
時には、歴史の時は、
現地調査までしていたので、

回答欄のスペースでは、不足したので、
裏まで、時には2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、自分だけ白紙が、
2枚配られていました。

先祖が笛が得意だったのと、
子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

知らせてもらえれば、
嬉しいです。

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