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『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(9)

次のオリンピックは、
ナチス体制下のドイツで開かれた、
1936年のベルリンオリンピックでした。

その時、『西竹一(バロン西)』男爵は、
ひどい風邪を引いて、40℃近い高熱がありました。

そのため、
薬で熱を下げて、参加しました。

そして、『西竹一(バロン西)』男爵は、

念願だった国産のオス馬『アスコット』と共に、

「総合馬術」競技に挑んだ結果、12位でした。

『西竹一(バロン西)』男爵は、
国産馬でもここまで活躍できると確信し、
満足しました。

そして、
閉会式直前の「大障害飛越」が行われ、
『西竹一(バロン西)』男爵は、
17歳になっていた『ウラヌス』と参加をしましたが、
高齢だったのか、良い成績を残せず、
落馬し棄権しました。

馬術の参加選手は、
前回の4カ国12選手から、
18カ国54選手にまで増えていましたが、
最終的に、日本の馬術の順位は、6位でした。

この時、
『西竹一(バロン西)』男爵は、妻『西武子』に、
「ベストを尽くしたので、悔いは無い。」と語っています。

しかし、
前回の栄光があったので、
6位も立派なのですが、
日本に帰国しても、歓迎はされませんでした。

ちなみに、
この時のスターは、平泳ぎで、
金を獲得した『前畑秀子』でした。

『前畑秀子』の200m平泳ぎのラジオ中継を、
実況したNHKの『河西三省』アナウンサーが、
興奮のあまり、
「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」と、20回以上も絶叫し、
ラジオ中継を聴いていた日本人を熱狂させたのは、
ものすごく有名です。

この時のベルリン五輪の記録映画『民族の祭典』をめぐり、
『西竹一(バロン西)』男爵は、軍部と対立したそうです。

この映画には、『西竹一(バロン西)』男爵が、
『アスコット』と供に、障害の沼にはまり、
泥まみれになりつつ、奮闘する場面が映っていました。

醜態を晒さないで欲しいと、軍部はカットを依頼しました。

『西竹一(バロン西)』男爵は、
人馬ありのままの苦闘を、見せてこそではないか、
と考え意見は対立しました。

そして、『西竹一(バロン西)』男爵は、結果についても、
上位を取らないと意味が無いという陸軍に対し、
6位入賞は、決して恥ずべき結果ではない!と主張しました。

元々、進歩的な考えで、
周囲の人々が、丸坊主だったのに、
髪型が長髪だったり、
服、帽子、靴が特別製だったり、
天皇を神と思っていなかったりと、
『西竹一(バロン西)』男爵の自由奔放な振る舞いは、
陸軍から煙たがられていました。

しかし、
ロサンゼルス五輪の金メダリストという、
利用価値があったので、見逃されて来たのでした。

上層部は、
『西竹一(バロン西)』男爵が、
ベルリン五輪でメダルを獲得出来なかったのに、
陸軍を批判しているのでは?と、
考えるようになり、

『西竹一(バロン西)』男爵は、
不要だと考えるようになりました。

そのため、
『西竹一(バロン西)』男爵は、
左遷対象となっていましました。(続く)



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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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