FC2ブログ

記事一覧

『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(8)

日本人報道関係者は、
馬術での日本の優勝は、
予想していなかったので、
馬術の専属記者は、いませんでした。

しかし、たまたま、
馬術競技のためではなく、

その後に行われる閉会式中継のため、
会場にいた日本人報道関係者が、
大ニュースとして、日本に伝えました。

その時、インタビューを受けた、
『西竹一(バロン西)』男爵は、

「We Won!
(私たち(私と『ウラヌス』)は、勝ちました。)」と、
「愛馬『ウラヌス』と共に、勝った事を喜びました。

しかし、日本人報道関係者は、
日本国民を高揚するために、
「我々日本は、勝った!」と報道したそうです。

そして、「バロン(男爵) ニシ(Baron Nishi)」の名が、
世界的に有名になりました。

当時、
日本が満州への進出を始めた頃で、
アメリカでの対日感情が、
悪化していたのですが、

ロサンゼルス市議会は、
『西竹一(バロン西)』男爵に、
名誉市民の称号を贈りました。



オリンピックで金メダルに輝いた後、

自他主催のパーティの連続で、

親友の大スター『ダグラス・フェアバンクス』夫妻や、
喜劇王『チャールズ・チャップリン』らと、
ド派手な、どんちゃん騒ぎを行い、

選手宿舎に帰ることはなく、延々と続いたそうです。

そして、
一段落して、『西竹一(バロン西)』男爵は、
帰国する日本選手団と一緒に、
船でロサンゼルスを出航しました。

そして、船が、サンフランシスコに寄港しました。

すると、『西竹一(バロン西)』男爵は、
担当者に、
「サンフランシスコから、
日本に出航するのは何時?」と聞いたそうです。

担当者は、
「サンフランシスコの港から、
日本へ向けて出航するのは、
2日後の予定です。」と答えたそうです。

すると、
『西竹一(バロン西)』男爵は、
答えを聞いた途端、

「まだ、時間があるので、

ロサンゼルスで、パーティの続きをする。」と言って、

飛行機で、ロサンゼルスまで、とんぼ返りをして、

出航時間に間に合う、ぎりぎりの時間まで、
お別れパーティの続きをしたそうです。

そして、サンフランシスコから、
日本郵船「秩父丸」で日本に戻ると、
万歳の叫びと万雷の拍手が、すごかったそうです。

『西竹一(バロン西)』男爵は、
行く先々で記者の質問攻めにあいましたが、
いつもまず第一に、『ウラヌス』の功を上げたそうです。

そして、
「次の機会には、

是非日本産馬でやってみたい。」と、付け加えたそうです。

その後も、
『西竹一(バロン西)』男爵は、破天荒で、
銀座の築地川に、高級な高速モーターボート
「ウラヌスⅠ世号」、「ウラヌスⅡ世号」を繋留し、
銀座のホステスを乗せたりして、豪遊していたそうです。(続く)



関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント

ランキング

詳しくは分かりませんが、下のマークを、

ランキング

クリックすると、点が入るらしい

カテゴリ

鳥 (2)
魚 (5)

プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖が笛が得意だったのと、
子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

検索フォーム

月別アーカイブ