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『項羽』の愛馬『騅』

中国で名馬と言えば、
『関羽』や『呂布』の赤兎馬が、有名ですが、

他にも、『項羽』の愛馬『騅(すい)(烏鵻)』も名馬で有名です。

『項羽』は、青白い愛馬『騅(すい)』を、
可愛がり、絆が強かったそうです。

『項羽』は、
「『騅(すい)』に乗って5年、向かう所敵なし。

千里を走る名馬。」と言っています。

ちなみに、「四面楚歌」で有名な場面、
『項羽』が垓下城で漢の大軍に包囲された時、
最後の出撃の前に詠んだ歌にも、
『騅(すい)』が出てきます。

「力は山を抜き気は世を蓋う
時利あらず騅逝かず
騅逝かざる奈何すべき
虞や虞や若を奈何せん

意訳:
自分は、山を抜く程の力、
世の中を覆う程の気概を持っていたが、
天は、味方をしてくれなかった。

愛馬『騅(すい)』は、もう力尽きてしまった。

これでは、どうして戦う事が出来ようか?
虞よ虞美人よ、
君をどうすればいいだろうか?」

ちなみに、
その翌朝、『項羽』は、愛馬『騅(すい)』にまたがり、
取り囲んでいた漢軍を突き崩し、
遥か長江のほとりまで、逃げのびたそうです。

長江には、
『項羽』が旗揚げした、
思い出深い呉中の亭長(役場の長)が、
船で『項羽』を待っていました。

亭長は、『項羽』に、
「もう一度、呉中に戻って初心に帰り、
再起しましょう。」と言いましたが、

『項羽』は、感謝の言葉を残して断り、

亭長に、

「『騅(すい)』を、乱戦で殺すに忍びない。

今後、『騅(すい)』の面倒を見てくれ。

これが、最後の戦いだ。」と言って、

愛馬『騅(すい)』を、亭長に渡すと、

『項羽』は、僅かな兵士と共に、
多くの兵士のいる漢軍の只中に、
飛び込んで行きました。

呉中の亭長は、
『騅(すい)』を船に乗せましたが、
『項羽』の危機を感じ取ると、

船の上で暴れ、長江に飛び込みました。

そして、『項羽』のいた方向の河岸に向かって、
泳ぎ続けますが、

やがて、『項羽』が、死んだことを感じ取ると、
そのまま、川底へ沈んでいったそうです。
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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