凍死する時(5)-人体実験
- 2019/12/19
- 05:05
空中戦で撃墜されパラシュートで脱出した後、
北海に落ちたパイロットは、
冷たい海水にさらされて凍死することがありました。
そのため、
ナチスドイツでは、
1942年から1943年まで、
ダッハウ強制収容所で、
寒冷地での人体に関して、
『ジクムント・ラッシャー』医師が、
低体温状態に陥った人間を、
蘇生、回復させるための実験を行いました。
冷え切った肉体を温めるためには、
アイヌの若者が蘇生した時の様に、
裸の女性による抱擁が、効果があると考えたそうです。
そのため、収容所から、
ジプシーのロマ民族の若い女性4人が、
選ばれて、『ジクムント・ラッシャー』医師の前に、
連れてこられました。
しかし、
選ばれた女性のうち1人が、
若くて美人なアーリア人だったので、
『ジクムント・ラッシャー』医師は、
「下等人種のスラブ人やユダヤ人、
ソ連兵捕虜を使うべきだ。」と言って、
彼女を実験に使用することを拒否し、
別の女性を選んだそうです。
そして、
スラブ人やユダヤ人、ソ連兵捕虜の中から、
沢山の被験者たちが選ばれたそうです。
『ジクムント・ラッシャー』医師は、
被験者に、麻酔をかけることを禁止し、
苦しみを緩和しなかったそうです。
ある実験では、ソ連軍将校2人を、
冷たい水桶の中に、裸にして入れたそうです。
通常なら60分程度で意識を失い、死亡しますが、
体力があったので、約3時間耐えたそうです。
しかし、耐えきれなくて、実験助手に、
「銃殺してくれないか?」と頼んだそうです。
実験助手が見兼ねて、
クロロフォルムで、2人に麻酔をかけようとしましたが、
『ジクムント・ラッシャー』医師は、
助手にピストルを突きつけ、制止したそうです。
その後、ソ連軍将校2人は、
「さよなら、同志よ!」と言って、
握手を交わしたそうです。
そして、ソ連軍将校2人は、
5時間後に、ようやく死亡しました。
他には、
耐寒飛行服を着せられて、
氷水のタンクに3時間漬けられたり、
半日以上凍てつく戸外に裸で立たせ厳寒状態にさせ、
熱い湯につけたり、
裸にさせて被験者を2人ずつの間にはさんで、
体温で温めさせるということなど、
様々な方法で体を温めさせたりなど、
色々な低温実験が行われ、
約90人以上の生命が、奪われたそうです。
この実験は、
アウシュビッツ収容所でも行われたそうです。
実験結果は、『ジクムント・ラッシャー』医師が、
「海と冬から生じる医学的問題」と題して発表しました。
ちなみに、
今日においてもこの実験結果が、
国際的専門誌に引用されているそうです。
ちなみに、『ジクムント・ラッシャー』医師は、
戦闘機のパイロットが高度の低気圧に、
どれだけ耐えうるかを調査するために、
低圧実験も行い、
約80人以上の生命が、奪われたそうです。
ちなみに、
医師『ジクムント・ラッシャー』医師の妻は、
アドルフ・ヒトラーの側近
『ハインリヒ・ルイトポルト・ヒムラー』の元愛人で、
歌手『ニニー・ディール』でした。
そのため、
結婚してから、『ジクムント・ラッシャー』医師は、
『ハインリヒ・ルイトポルト・ヒムラー』に、
直接面会できる立場となったので、
巨大な権力を、持つようになったそうです。
『ニニー・ディール』は、48歳になった後に、
最初の子を出産し、
『ジクムント・ラッシャー』医師との間に、
子供が3人いました。
しかし、『ニニー・ディール』が、
4人目の子供を妊娠していた時、
子供を誘拐しようとして、逮捕されました。
そして、捜査の結果、
実は、『ニニー・ディール』は、妊娠していなく、
さらに『ジクムント・ラッシャー』医師との3人の子供達も、
誘拐および買収によるものであったことが、判明しました。
この前代未聞の事件は、
『ハインリヒ・ルイトポルト・ヒムラー』の逆鱗に触れました。
そのため、
1944年に『ジクムント・ラッシャー』医師も、
誘拐の共犯者として逮捕され、
夫妻ともに死刑判決を受け、
1945年4月26日、
『ジクムント・ラッシャー』医師が、
人体実験を行っていたダッハウ強制収容所で、
夫妻とも処刑されました。 (続く)
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