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凍死する時(5)-人体実験

第二次世界大戦中、
空中戦で撃墜されパラシュートで脱出した後、
北海に落ちたパイロットは、
冷たい海水にさらされて凍死することがありました。

そのため、
ナチスドイツでは、
1942年から1943年まで、
ダッハウ強制収容所で、
寒冷地での人体に関して、
『ジクムント・ラッシャー』医師が、

低体温状態に陥った人間を、
蘇生、回復させるための実験を行いました。

冷え切った肉体を温めるためには、

アイヌの若者が蘇生した時の様に、

裸の女性による抱擁が、効果があると考えたそうです。

そのため、収容所から、
ジプシーのロマ民族の若い女性4人が、
選ばれて、『ジクムント・ラッシャー』医師の前に、
連れてこられました。

しかし、
選ばれた女性のうち1人が、
若くて美人なアーリア人だったので、

『ジクムント・ラッシャー』医師は、

「下等人種のスラブ人やユダヤ人、
ソ連兵捕虜を使うべきだ。」と言って、

彼女を実験に使用することを拒否し、

別の女性を選んだそうです。

そして、
スラブ人やユダヤ人、ソ連兵捕虜の中から、
沢山の被験者たちが選ばれたそうです。

『ジクムント・ラッシャー』医師は、
被験者に、麻酔をかけることを禁止し、
苦しみを緩和しなかったそうです。

ある実験では、ソ連軍将校2人を、
冷たい水桶の中に、裸にして入れたそうです。

通常なら60分程度で意識を失い、死亡しますが、
体力があったので、約3時間耐えたそうです。

しかし、耐えきれなくて、実験助手に、
「銃殺してくれないか?」と頼んだそうです。

実験助手が見兼ねて、
クロロフォルムで、2人に麻酔をかけようとしましたが、

『ジクムント・ラッシャー』医師は、

助手にピストルを突きつけ、制止したそうです。

その後、ソ連軍将校2人は、
「さよなら、同志よ!」と言って、
握手を交わしたそうです。

そして、ソ連軍将校2人は、
5時間後に、ようやく死亡しました。

他には、
耐寒飛行服を着せられて、
氷水のタンクに3時間漬けられたり、
半日以上凍てつく戸外に裸で立たせ厳寒状態にさせ、

熱い湯につけたり、
裸にさせて被験者を2人ずつの間にはさんで、
体温で温めさせるということなど、
様々な方法で体を温めさせたりなど、

色々な低温実験が行われ、
約90人以上の生命が、奪われたそうです。

この実験は、
アウシュビッツ収容所でも行われたそうです。

実験結果は、『ジクムント・ラッシャー』医師が、
「海と冬から生じる医学的問題」と題して発表しました。

ちなみに、
今日においてもこの実験結果が、
国際的専門誌に引用されているそうです。

ちなみに、『ジクムント・ラッシャー』医師は、
戦闘機のパイロットが高度の低気圧に、
どれだけ耐えうるかを調査するために、
低圧実験も行い、
約80人以上の生命が、奪われたそうです。

ちなみに、
医師『ジクムント・ラッシャー』医師の妻は、
アドルフ・ヒトラーの側近
『ハインリヒ・ルイトポルト・ヒムラー』の元愛人で、
歌手『ニニー・ディール』でした。

そのため、
結婚してから、『ジクムント・ラッシャー』医師は、
『ハインリヒ・ルイトポルト・ヒムラー』に、
直接面会できる立場となったので、

巨大な権力を、持つようになったそうです。

『ニニー・ディール』は、48歳になった後に、

最初の子を出産し、

『ジクムント・ラッシャー』医師との間に、
子供が3人いました。

しかし、『ニニー・ディール』が、
4人目の子供を妊娠していた時、

子供を誘拐しようとして、逮捕されました。

そして、捜査の結果、
実は、『ニニー・ディール』は、妊娠していなく、

さらに『ジクムント・ラッシャー』医師との3人の子供達も、
誘拐および買収によるものであったことが、判明しました。

この前代未聞の事件は、
『ハインリヒ・ルイトポルト・ヒムラー』の逆鱗に触れました。

そのため、
1944年に『ジクムント・ラッシャー』医師も、
誘拐の共犯者として逮捕され、

夫妻ともに死刑判決を受け、

1945年4月26日、
『ジクムント・ラッシャー』医師が、

人体実験を行っていたダッハウ強制収容所で、

夫妻とも処刑されました。 (続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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