凍死する時(4)-ディアトロフ峠
- 2019/12/18
- 05:05
ソビエト共産主義の下、
ウラル山脈にあるオトルテン山登頂を目指し、
『イーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ』をリーダーとする、
ウラル工科大学(旧 ウラル科学技術学校)の学生と
OBの9人の超ベテラン登山者が、
スキーでのトレッキングで、オトルテン山頂を目指しました。
何故なら、
オトルテン山登頂に成功すると、
アスリートを育てるスポーツマスターの資格を、
得る事が出来て、
エリート街道を、進む事が出来るからでした。
しかし、
結果は、失敗し、全員が凍死しました。
ところが、その死に方が、不思議でした。
防寒着やブーツなどの荷物はテントの中で発見され、
全員薄着で、靴も履いていなかったそうです。
ちなみに、事件後、事件のあった地域は、
リーダーの『ディアトロフ』の名前から、
ディアトロフ峠と呼ばれるようになりました。
ソ連の捜査当局により分かったのは、
テントは、鋭利な刃物で、内側から引き裂かれていて、
遺体には争った形跡はありませんでした。
最後に食事を摂ってから、
約7時間後に死亡していました。
テント内に残されたカメラのフィルムが、現像されました。
写真は、彼らの姿を映したものが多数でしたが、
最後の1枚が、奇妙なオレンジ色の光球でした。
遺体は、3方向にテントから1kmほども離れた場所で、
発見されていました。
遺体の皮膚は、茶褐色から黒く変色し、髪は白く変色し、
2体に頭蓋骨骨折、2体は肋骨を損傷、
1体は眼球や舌が無く、
犠牲者の衣服から、
通常の2倍の線量の放射性物質が、検出されました。
そして、
ソ連の捜査当局は、抗いがたい自然の力によって、
全員の死因が低体温症により、
9人が死に至ったと発表しました。
しかし、ソ連の捜査当局は、
事件後3年間にわたって、
事件が発生した地域への立ち入りを禁じました。
詳しい事は判明しなかったので、
色々な説が出ました。
核実験の誤爆説。
確かに、
1400kmほど離れた場所に核実験がありますが、
もし、核兵器の誤爆なら、
2倍程度の放射線量では済まないし、
通常の2倍程度なら異常ではなく
大気汚染などでも起こり得るそうです。
次に、雪崩説。
押し寄せてきた雪が夜のうちにテントを潰し、
パニックになり、テントを切り裂いて逃げ出し、
助けを求めて移動している間に、凍死したというものです。
しかし、
雪崩は傾斜30度以上で発生することが多いのですが、
事件のあった地域は傾斜15度で雪崩が起きにくい条件でした。
次にUFO説。
事件のあった夜、
事件の発生地点から、南に50km離れた場所にいた、
別のトレッキング客の一行が、
北の夜空に奇妙なオレンジ色の光球を、
目撃したと報告していました。
同様の光球は、1959年、同じ地域で、
気象、軍関係者など数人に目撃されていました。
事件を調査していた警察関係者『レフ・イヴァノフ』は、
高級官僚から、調査を中止して、
光球に関する資料を機密にするよう、
直接指示を受けたそうです。
その時、『レフ・イヴァノフ』は、
光球は、UFOでは?と思ったそうです。
しかし、後日、ソ連政府は、問題の地域は、
バイコヌール宇宙基地から、
主要な核実験場だったチェルナヤ・グバに、
直接通じる道の途上に位置していたので、
光球は、R-7大陸間弾道ミサイルを、
発射した時の光と発表しました。
次に、一番有力なヘアピン渦現象説。
アメリカのドキュメンタリー映画監督『ドニー・アイカー』は、
現場のドーム状かつ左右対称の地形は、
ヘアピン渦現象と呼ばれる特異な気象現象が、
起こりやすい地形なので、
気象現象としての観測例は少ないのですが、
ヘアピン渦現象が原因ではないかと推測しました。
ヘアピン渦現象とは、
強い風がドーム状の障害物にぶつかることで、
2つ以上の竜巻に発展し、
強力な超低周波音と地響き、
旅客機が頭上を通り抜けるような
恐ろしいほどの轟音が起きるそうです。
それにより、パニックに陥り、
キャンプを飛び出したのではないかと推測しました。
捜査資料は、機密文書保管庫に送られ、
1990年代になって、
ようやく資料が、公開されるようになりましたが、
幾つかの資料が、失われていました。
ちなみに、
当時、ミサイルや核技術に関するデータが漏れるのを恐れて、
そのような問題を取りあげる事を禁じていたそうです。
現在も、詳しい原因は、謎のままだそうです。(続く)
- 関連記事
-
- 凍死する時(3)-八甲田
- 凍死する時(4)-ディアトロフ峠