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凍死する時(2)-欺し平

雪山に限らず、凍死状態で発見される時、

着衣を脱いだ状態で発見されるのは、

世界各国で、何件か見つかっています。

日本でも、裸で凍死した事例が、
37件あります。

寒いのに服を脱ぐのは、

矛盾脱衣という、

異常行動を起こしていたからでした。

人間は、あまりに寒い環境下に長時間いると、
体温の熱量は外気に奪われ、
その結果、体温が下がります。

体は、体温低下を阻止しようとして、
血管が異常収縮し、熱放散を抑制し、
更に筋肉が不必要に振動運動し、熱生産性を高め、
体内から温めようとする働きが強くなるそうです。

その状態が長引くと、
体温調節中枢が麻痺してしまい、
極寒の環境下にもかかわらず、

暑いという錯覚に陥り、

衣服を脱ぐ事があるそうです。

1934年1月1日、
ベテラン登山家で医師のMさんが、
5人の友人たちと群馬県草津白根山の芳ヶ平の小屋から、
長野県志賀高原の熊の湯に向かい、
山スキーをしていました。

Mさんは、
同じルートを、何度も踏破し、知り尽くしていました。

そして、「欺し平(だましだいら)」に来ました。

「欺し平」には、周囲と違い、
針葉樹林が少ない広い平原で、
同じ様な木々があり、方向感覚がおかしくなり、
迷う人が多いので、
「だましだいら」と呼ばれ、
最大の難所と言われているそうです。

しかし、猛吹雪のため、このまま進むのは危険と感じ、
休憩をしていました。

すると、
熊の湯方向から2人の青年が、山スキーでやって来ました。

Mさんは、「何処へ行かれるのですか?
吹雪がすごいので、一緒に休憩しませんか?」と聞くと、

青年は、「熊の湯から、芳ヶ平の小屋に向かって、
芳ヶ平の小屋に、1泊します。

先を急いでいるので、このまま進みます。」と言いました。

Mさんたちは、「それなら、こっちです。」と進むべき方向を、
指差しましたが、

青年の1人が、「自分は、このコースは、よく知っています。」と言って、
違う方向に進もうとしました。

Mさんたちは、「でも、自分たちは、芳ヶ平の小屋から来ました。
だから、進むべき方向は、こちらです。
貴方たちが進む方向に行くと、迷いますよ。」と訂正しましたが、

青年たちは、
「貴方たちより、私たちの方が、この周囲の事は詳しいし、
その方向に行くと遠回りです。」と、
忠告を無視し、そのまま進んで行きました。

Mさんたちは、「違う!こっちの方ですよ!」と叫びましたが、
青年たちは、そのままスーツと進んで行き、
あっという間に見えなくなりました。

Mさんたちは、
急ぎの旅でもないし、

青年たちの事が気にかかり、

芳ヶ平の小屋まで戻っても小1時間位だし、

とりあえず、芳ヶ平の小屋まで戻り、

青年たちの無事を見届けてから、

再出発する事にしました。

しかし、
Mさんたちは、芳ヶ平の小屋に着いても、

近道したはずの青年たちは、
来ていませんでした。

翌日も、青年たちは、いなかったので、

Mさんたちは、捜索隊を依頼しました。

捜査の結果、
熊の湯の宿帳で、分かったのですが、

青年たちは、大阪から来た会社員という事が分かりました。

しかし、青年たちは、見つかりませんでした。

その1か月後、猟師により、

青年たちは、
「欺し平」から、約10km離れた密林で見つかりました。

見つかった時、

青年の1人は、
服などを、丁寧にたたんで、

約50m離れた所のリュックサックに入れられ、
その横に、靴下、スキー靴、スキー板が、
並べられていたそうです。

もう1人は、20m程離れた所で、
服、下着、ズボン、スキー靴、スキー板を、近くの木にかけて、

2人とも、ほとんど裸の状態で、凍死していたそうです。

当時は、
死に方が不自然で、
雪女の仕業だ、
山の神を怒らせたなどのミステリーだと騒がれましたが、

これは、現在では、
矛盾脱衣だと考えられます。

日本で有名な矛盾脱衣は、
『新田次郎』の小説で、
映画にもなった「八甲田山死の彷徨」です。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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