凍死する時(2)-欺し平
- 2019/12/16
- 05:05
着衣を脱いだ状態で発見されるのは、
世界各国で、何件か見つかっています。
日本でも、裸で凍死した事例が、
37件あります。
寒いのに服を脱ぐのは、
矛盾脱衣という、
異常行動を起こしていたからでした。
人間は、あまりに寒い環境下に長時間いると、
体温の熱量は外気に奪われ、
その結果、体温が下がります。
体は、体温低下を阻止しようとして、
血管が異常収縮し、熱放散を抑制し、
更に筋肉が不必要に振動運動し、熱生産性を高め、
体内から温めようとする働きが強くなるそうです。
その状態が長引くと、
体温調節中枢が麻痺してしまい、
極寒の環境下にもかかわらず、
暑いという錯覚に陥り、
衣服を脱ぐ事があるそうです。
1934年1月1日、
ベテラン登山家で医師のMさんが、
5人の友人たちと群馬県草津白根山の芳ヶ平の小屋から、
長野県志賀高原の熊の湯に向かい、
山スキーをしていました。
Mさんは、
同じルートを、何度も踏破し、知り尽くしていました。
そして、「欺し平(だましだいら)」に来ました。
「欺し平」には、周囲と違い、
針葉樹林が少ない広い平原で、
同じ様な木々があり、方向感覚がおかしくなり、
迷う人が多いので、
「だましだいら」と呼ばれ、
最大の難所と言われているそうです。
しかし、猛吹雪のため、このまま進むのは危険と感じ、
休憩をしていました。
すると、
熊の湯方向から2人の青年が、山スキーでやって来ました。
Mさんは、「何処へ行かれるのですか?
吹雪がすごいので、一緒に休憩しませんか?」と聞くと、
青年は、「熊の湯から、芳ヶ平の小屋に向かって、
芳ヶ平の小屋に、1泊します。
先を急いでいるので、このまま進みます。」と言いました。
Mさんたちは、「それなら、こっちです。」と進むべき方向を、
指差しましたが、
青年の1人が、「自分は、このコースは、よく知っています。」と言って、
違う方向に進もうとしました。
Mさんたちは、「でも、自分たちは、芳ヶ平の小屋から来ました。
だから、進むべき方向は、こちらです。
貴方たちが進む方向に行くと、迷いますよ。」と訂正しましたが、
青年たちは、
「貴方たちより、私たちの方が、この周囲の事は詳しいし、
その方向に行くと遠回りです。」と、
忠告を無視し、そのまま進んで行きました。
Mさんたちは、「違う!こっちの方ですよ!」と叫びましたが、
青年たちは、そのままスーツと進んで行き、
あっという間に見えなくなりました。
Mさんたちは、
急ぎの旅でもないし、
青年たちの事が気にかかり、
芳ヶ平の小屋まで戻っても小1時間位だし、
とりあえず、芳ヶ平の小屋まで戻り、
青年たちの無事を見届けてから、
再出発する事にしました。
しかし、
Mさんたちは、芳ヶ平の小屋に着いても、
近道したはずの青年たちは、
来ていませんでした。
翌日も、青年たちは、いなかったので、
Mさんたちは、捜索隊を依頼しました。
捜査の結果、
熊の湯の宿帳で、分かったのですが、
青年たちは、大阪から来た会社員という事が分かりました。
しかし、青年たちは、見つかりませんでした。
その1か月後、猟師により、
青年たちは、
「欺し平」から、約10km離れた密林で見つかりました。
見つかった時、
青年の1人は、
服などを、丁寧にたたんで、
約50m離れた所のリュックサックに入れられ、
その横に、靴下、スキー靴、スキー板が、
並べられていたそうです。
もう1人は、20m程離れた所で、
服、下着、ズボン、スキー靴、スキー板を、近くの木にかけて、
2人とも、ほとんど裸の状態で、凍死していたそうです。
当時は、
死に方が不自然で、
雪女の仕業だ、
山の神を怒らせたなどのミステリーだと騒がれましたが、
これは、現在では、
矛盾脱衣だと考えられます。
日本で有名な矛盾脱衣は、
『新田次郎』の小説で、
映画にもなった「八甲田山死の彷徨」です。(続く)
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