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神隠し(2)

以前、フィギュア-スケートのイナバウアーを聞いた時、

『稲福婆(イナフクバア)』の話を思い出しました。

16-17世紀の話ですが、
沖縄本島の西原間切の棚原に、
『稲福婆(イナフクバア)』という祝女がいました。

他の祝女と一緒に、
上ヌ御嶽(マニシカニービ御嶽)で、
祭事を執り行っていた時に、

突然、煙が出て来て、消えたそうです。

それから3年後、我謝村の鍛冶屋大主が、
船を出して沖で釣りをしていた時、

海面に、頭から体まで、
フジツボや貝殻や海藻などが、
付着した、意識の無い老婆が浮かんでいた。

息があったので、船に乗せ、岸まで連れて行き、
介抱したそうです。

その後、
『稲福婆(イナフクバア)』が、
会話ができるまで回復しました。

話によると、
自分が消えたあの時、

煙が出たと同時に気を失い、

気が付くと、
海のかなたの理想国「儀来河内(ギライカナイ)」に飛ばされ、
貝ばかり食べていたそうです。

すると、
体じゅうに、貝殻が付着してきたと話しました。

しばらくすると、
首里城にいた王の耳に入り、
王が会いたいと言う事で、
首里城に行くことになりました。

そして、『稲福婆(イナフクバア)』は、
「儀来河内(ギライカナイ)」を見たという事で有名になり、
『儀来婆』と呼ばれるようになりました。

首里城に来ると聞いた人々は、
『稲福婆(イナフクバア)』を一目見ようと、
首里城の城門前に、大勢の人々が集まったそうです。

『稲福婆(イナフクバア)』は、
大勢の人々に驚いたそうです。

すると、『稲福婆(イナフクバア)』は、
両脇に手を入れると当時に、
煙が出て来て、消えてしまったそうです。

人々が捜索していると、
上ヌ御嶽(マニシカニービ御嶽)でうずくまっていた
『稲福婆(イナフクバア)』が、
発見されたそうです。

そして、
首里城にいる王に、拝謁したそうです。

その後、
『稲福婆(イナフクバア)』は、

その後、消える事もなく、

健康に過ごし、
約80歳で、死亡したそうです。

煙と共に消えると言えば…、(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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