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ヒマラヤ山脈(エベレスト)登山ー人と「風の鳥」(3)

人の体は、6500m位より高いところだと、

消化吸収が悪くなり、

体のエネルギーとして、

脂肪より蛋白質が使われるので、

筋肉が少なくなり、

また、
眠っていても、体力が落ちていくそうです。

エベレストでは、酸素が薄いので、

7000m当たりから、
酸素ボンベが必要ですが、

酸素ボンベが、約15時間しか持たないそうです。

標高8000mを超えると、
地上の3分の1程度しか空気がないので、

空気を使って揚力を得る仕組みであるヘリコプターは、

空気が少なすぎて、安定して飛ぶ事が出来ないそうです。

そのため、救助のヘリコプターが来れないので、

緊急事態に遭遇したら、死を意味するので、

標高8000m以上から、
「人が生きていけない領域」という意味で、

「デス・ゾーン」と呼ばれています。

そして、
遺体回収にも、登山許可証が必要で、

人数も複数必要なので、高額な費用も掛かるので、

遺体回収は、物理的にも費用的にも困難なので、

100体以上の遺体が、放置されているそうです。

エベレスト山頂付近の平均気温は、
-20℃からー35℃だそうです。

そのため、
遺体は、冷凍庫に入っているのと同じなので、

何年もの間、腐敗が進まずに、

その姿を残しているそうです。

そして、
カラフルな登山着を着たままの遺体が、
大量にあるので、

「虹の谷」と呼ばれ、

カラフルな登山着を着た遺体が、
登山道の目印となっているそうです。

1996年、下山中にブリザードに巻き込まれ、
低体温症で亡くなったインド人登山家『ツワング・パルジャー』は、
「グリーンブーツ」と呼ばれ、



北東側ルートを通るとその前を必ず通るので、
登山者たちの目印となっているそうです。

2012年、カナダ人の『スリヤ・シャー・クロルファイン』は、
エベレスト登頂に成功したそうです。

そして、
頂上にて自分の成し遂げた快挙により、
興奮状態となり、25分以上、祝福したそうです。

しかし、その時、酸素を使いすぎ、



下山途中、
酸素不足と極度の疲労から、亡くなったそうです。

ちなみに、
標高8000m以上の領域に、酸素ボンベなしで20分以上いると、

脳に酸素が行き渡らず、脳細胞が死んでしまうそうです。

2006年5月15日、
元数学教師でイギリスの登山家『デイヴィッド・シャープ』は、

シェルパやガイド、無線機なしの上、
適切な防寒具と酸素ボンベが十分ではない状態で、

1人で、頂上到達を試みたそうです。

しかし、
その夜は、その年の最低気温となり、

目印になっている「グリーンブーツ」の近くの岩陰で、

寒さと疲労と凍傷のため、休息したそうです。

しかし、その間に凍傷が悪化し、
動く事が、困難になったそうです。

その後、40人以上のの登山家が、
『デイヴィッド・シャープ』の前を、通過しました。

ほとんどの登山者は、
『デイヴィッド・シャープ』は、
生きていて、危険な状況である事は、
分かりました。

しかし、
エベレストの厳しい環境下では、
他人を助けようとしたら、

自分が死んでしまう可能性があるので、

『デイヴィッド・シャープ』を、
支援することなく、通り過ぎて行ったそうです。

しかし、
下山途中だったシェルパ族の『ダワ』は、
『デイヴィッド・シャープ』に、酸素を与えて、

動かそうと1時間近く試みましたが、
立たせることさえ、困難だったので、

泣きながら『デイヴィッド・シャープ』を、
置き去りにしたそうです。



その間、
誰も手伝わなかったそうです。

ただし、
『デイヴィッド・シャープ』が、
支えながら、立てたとししても、

その先の険しい箇所を、
下山させることは不可能だったそうです。

そして、登山の目印になりました。

エベレスト初登頂に成功した『エドモンド・ヒラリー』は、

『デイヴィッド・シャープ』の事を知り、

「エベレスト登頂への姿勢そのものが、
とても恐ろしいものになってしまったように思う。

皆、頂上に到達することしか頭にない。

誰かが高山病に苦しんで岩陰で凍えているのに、
通り過ぎるなんて、間違っている。

遭難したかも知れない者に対して、見向きもしない。

岩陰で死にかけている誰かを、置き去りにするだなんて、

自分には考えられない。

今日の登山家の最優先事項は、頂上に到達することだけだ。

そのような冷酷な態度を恐ろしく思う。」と言ったそうです。

しかし、
『デイヴィッド・シャープ』の母『リンダ・シャープ』は、

「何人もの人が、息子を見たが、支援することなく、通過した。

そして、
シェルパ族の『ダワ』が、息子に酸素を与えようとしたけど、
もう手遅れだった。

エベレストのような厳しい世界では、他の誰かを、
救ったりしないのも正解だと思う。

各自、それなりの覚悟で行っているので、
自分を守るのは、自身の責任です。」と言って、

息子の死は、彼自身の責任だと考えていて、
他の登山家を非難しませんでした。

『デイヴィッド・シャープ』の死亡事件の数日後、
同じような事が、起きました。

2006年5月26日、
オーストラリアの有名な登山家『リンカーン・ホール』は、

総勢73人のチームで、エベレストに挑んだそうです。

そして、シェルパ族の2人と共に、
山頂へ到達することに成功したそうです。

しかし、下山途中、標高8500m位の所で、
高山病の高地脳浮腫を発症し、
昏睡となったそうです。

同行していた2人のシェルパ族は、

下山させようと、長時間、試みましたが、
とても、困難で、どんどん天候が悪化していきました。

そして、
『リンカーン・ホール』は、意識が無くなり、ぐったりしたので、
シェルパ族は、死んだと思い、

標高7000mの所のベースキャンプにいるチームリーダーに、
その事を、無線で伝えたそうです。

チームリーダーは、
どんどん天候が悪化しているので、

これ以上、救助にこだわっていると、

他にも犠牲者が出る可能性があったので、

チーム全員の安全を考えて、

チームリーダーは、

蘇生、救出をあきらめ、下山する事を決断し、

シェルパ族に、
『リンカーン・ホール』を、置き去りにして、

『リンカーン・ホール』の遺族に渡すため、
酸素ボンベなどを回収し、ベースキャンプに戻ってくるように、
無線で伝えたそうです。

そして、
下山したチームは、『リンカーン・ホール』の家族に、
『リンカーン・ホール』が、死亡したと伝えました。

しかし、その3時間後、天候が回復し、気温が上昇し、

『リンカーン・ホール』は、意識を取り戻したそうです。

でも、『リンカーン・ホール』は、
誰もいなく、酸素ボンベもなく、気が動転したそうです。

『リンカーン・ホール』の家族に、
死亡した事を伝えてから、

約12時間後、オーストラリア人『ダンカン・チェッセル』が、

黄色いものが動いているのを発見したので、
気になり近づいてみたら、

『リンカーン・ホール』が、
寝袋、マットレスもない凍り付いた岩の上で、
防寒具を脱ごうとしていたそうです。

その時、『リンカーン・ホール』は、

体温調節中枢が麻痺し、暑いと錯覚に陥り、

衣服を脱いでしまうという「矛盾脱衣」が、
起きていたそうです。

そして、『ダンカン・チェッセル』は、

『リンカーン・ホール』の生存を、ネットなどで伝えたそうです。

エベレスト登山に、

高額な経費をかけ、頂上を目指していた、

『ダニエル・マズール』、『アンドリュー・ブラッシュ』、
『マイルズ・オズボルム』、『ジャンブー・シェルパ』の登山家も、

登頂を断念し、

酸素を与えたり、防寒具も着せたりして、

『リンカーン・ホール』の救助にあたったそうです。

そして、
救助応援を無線で知らせ、手当をし、
救助ために来た11人のシェルパ族と共に、

『リンカーン・ホール』を、
7000m地点のベースキャンプまで、
連れて行ったそうです。

『リンカーン・ホール』は、
凍傷で、手と足の指を失いましたが、



九死に一生を得ました。

しかし、
人々が、死ぬ運命を回避しても、

死の運命から逃れることが出来なくて、
死んでいくという映画「ファイナル・デスティネーション」ではありませんが、

生還した『リンカーン・ホール』は、
2012年、ガンで死亡したそうです。

ちなみに、
『デイヴィッド・シャープ』と、
『リンカーン・ホール』の登山方法は、違います。

『デイヴィッド・シャープ』は、

サポートチームから支援を受けず、
固定ロープ等や装備に極力頼らず、

登る人の個人の力で頂上を目指す、

高度な登山技術の必要な「アルパインスタイル」でした。

『リンカーン・ホール』は、

ベースキャンプを設け、
そこから比較的連絡のとりやすい距離に、
次々と前進キャンプを設営し、

多数の隊員の支援により、

最終的に、少数の隊員が頂上を目指す、
「極地法」でした。

ちなみに、1953年、
エベレスト初登頂した『エドモンド・ヒラリー』と『テンジン・ノルゲイ』は、
「極地法」だったそうです。

現在でも公募隊によるエベレスト等の登山では、
「極地法」で、登頂を目指しますが、

少数の登山者のために、
多くの人と多くの時間が必要なので、
多額の費用が必要です。

「極地法」では、
膨大なゴミが出るのが問題視されています。

「何故、あなたはエベレストに登りたいのか?」と
問われて、

「そこにエベレストがあるから。
(日本で、「そこに山があるから」と意訳)」と答えた
『ジョージ・ハーバート・リー・マロリー』は、

1924年、頂上付近で行方不明となっていましたが、

75年後の、
1999年、国際探索隊によって遺体が発見されたそうです。


死蝋化しているので、皮膚が残っている。

ちなみに、
ヒマラヤ山脈の頂上を目指すのは、
人だけではありません。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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