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ヒマラヤ山脈(エベレスト)登山ー人と「風の鳥」(2)

エベレストは、冬は、-40℃の低温と、
ジェット気流で、風速30ー40m/秒の強風が吹くので、
登山は不可能に近いそうです。

季節風(モンスーン)の夏の時期は、
確かに、
気温は上がるのですが、
そうすると雪崩が起きやすい状況になる上、
悪天候が続くので、
登山には、向かないシーズンだそうです。

その前の4月ー5月のプレ・モンスーンか、
その後の9月ー10月のポスト・モンスーンに、
登山するのが一般的だそうです。

しかし、ポスト・モンスーンは、
モンスーンが長引いたり、
冬のジェット気流の到来が、早まったりして、
登山が出来ない事もあるので、

多額の費用が無駄になることもあるので、

4月ー5月のプレ・モンスーンに、
登山する人の方が、多いそうです。

エベレストの山頂付近は、天候が不安定で、

季節が良くても、
毎日、登山が可能というわけでは、ないそうです。

ちなみに、
強風と低温は、体力の消耗が激しいので、
晴れでも、気温-15℃以上、
風速15m/秒未満という条件を満たさない場合は、
登頂を避けるのが普通だそうです。

そのため、
条件が整うまで、キャンプで待機し、

晴れ間がのぞき、条件が整うと、

一気に大量の登山者が、
山頂へ向かうので、長蛇の列になるそうです。



また、
エベレストの登山道は、1本道で、

その上、命綱のフィックスロープは、
登る人と降りる人用が、兼用なので、

すれ違う時に、
ロープにつける金属リングを付け替えるので、
時間が掛かるそうです。


道と命綱が1本なので、登る人と降りる人で、混雑している

登山者は、なるべく早く登頂したい所ですが、

頂上付近の待ち時間が、数時間となる事もあり、

渋滞により、寒さと疲労や予備の酸素が無くなるなどが原因で、
待ち時間に、死亡する人が増えて、

2019年、8000m峰で亡くなった人は、21人だそうです。

そのうち15人は、国際ガイドサービスの顧客ではなく、
ネパール人が主催した登山隊の顧客だったそうです。

ネパール観光当局の『Dandu Raj Ghimire』事務局長は、
エベレストの登山に関して、

「渋滞だけでなく、

悪天候を含む他の要因も、

登山者の死亡の原因となっている。

ヒマラヤ山脈の登山は、
それ自体が冒険的で、複雑かつ繊細なものであり、

悲劇的な事故は、避けられません。」と言ったそうです。

ちなみに、
水族館勤務の時、ペンギンの調査のため、

南極に行かされそうになりました。

エベレストや北極の気候と比べると、

南極の気候は寒く、

と言うよりも、

地球上で最も寒い場所は、南極と聞いていたので、

「寒いのが苦手!」という事で、断りました。

記録上、南極の最低気温は、
2018年7月の-97.8℃だそうです。

ちなみに、
南極は、数千万年前までは温暖で、
森林で覆われ、多様な生物が生息していたそうです。

何度も、行くように言われましたが、

「数千万年前の温暖な時なら、進んで行くけど、

自分は、寒いのが苦手で、
極寒での体調管理に、ものすごく不安がある。」と言って、

何度も、断固として、断り続けました。

代わりに、飼育係が行ってくれたのですが、
エベレストより環境条件は厳しく、
最低気温ー60℃以下、風速80m/秒のブリザードもあり、

荷物も飛ばされ…。

その時は、
行かなくて良かったと思いましたが、

今考えると、

南極に行く機会は、あまりないので、

行っても良かったかも?

いや、行かなくて良かった。

行っていたら、死んでいたと思う。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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