FC2ブログ

記事一覧

ヒマラヤ山脈(エベレスト)登山ー人と「風の鳥」(1)

1717年、清の『康熙帝』の命令を受けて、
イエスズ会のフランス人『ジャン・バティスト・レジス』が、
『皇與全覧図』と呼ばれる中国地図を作成した時、

現在のエベレストの位置に、山の絵を描き、
「朱母郎馬阿林」と表記しました。

そして、その地図を、
フランスのイエズス会に送ったそうです。

そして、イエズス会は、
地図製作者『ジャン・バティスト・ブルギニョン・ダンヴィル』に、
正確な地図作製を依頼したそうです。

そして、1735年、『中国新地図集』として出版され、
その中で、エベレストを、「チュム・ランクマ」と表記しました。

これが、欧米に、
「チョモランマ」の名称が、
初めて紹介された時だそうです。

その後、
欧米では、誰もその山の事を、
気にかけることもなく、忘れられていました。

その後、
イギリス東インド会社は、植民地支配のため、
インド周辺の正確な地図作製をする事にしました。

1830年から1843年までの間、
イギリス東インド会社のインド測量局長官を務めた
イギリス人で地質学者でもある『ジョージ・エベレスト』は、

1832年、
イギリス陸軍の測量官『アンドリュー・スコット・ウォー』を助手にして、

ヒマラヤ山脈の測定を始めました。

『ジョージ・エベレスト』は、けちで短気な性格でしたが、

合理的で天才気質だったので、

『アンドリュー・スコット・ウォー』は、
付き合いにくいとは思いましたが、

師匠として尊敬していました。

1843年、『ジョージ・エベレスト』は、退任しましたが、

ヒマラヤ山脈の測定は、

まだ、終わっていませんでした。

『アンドリュー・スコット・ウォー』が、後任のインド測量局長官となり、

その後のヒマラヤ山脈の測定を、引き継いだそうです。

1852年、
インド測量局で、「Peak XV」と呼んでいた

ヒマラヤ山脈の一角をなす山は、

標高8848mで、世界最高峰だと判明しました。

ちなみに、エベレスト頂上から、

海に生息していた三葉虫、ウミユリなどの化石が、
発見されているので、

約4500万年前まで、

エベレストの頂上は、海の底だったそうです。

ついでに言うと、ヒマラヤ山脈は、

インド半島とユーラシア大陸のプレートの衝突により、
出来ているのですが、

現在もインド半島の移動は、続いているので、

エベレストは、毎年、約4mm高くなっているそうです。

1856年3月に、
インド測量局長官『アンドリュー・スコット・ウォー』は、

「自分の師匠で、尊敬する前長官の『ジョージ・エベレスト』は、

すべての地形に現地での呼称を採用するよう、私に教えてきた。

しかし、
「Peak XV」の地域は、
ネパールとチベットにはさまれているし、
どちらの国にも入国が出来ないので、
名前は調べようがない。

地方での呼び名は、数多くあるだろうから、
どれか一つを選ぶのは難しい。

しかし、
世界最高峰の山の名前を名付ける特権と責任は、

栄光あるイギリス帝国だと私は考える。

この山の存在が、

文明国家に深く浸透するかは、

統一した正式名称が重要だ。」と言って、

インド測量局が、「Peak XV」と呼んでいた世界最高峰の山は、

師匠『ジョージ・エベレスト』に敬意を表して、

「エベレスト」と命名しました。



ただし、
『ジョージ・エベレスト』は、

一度もエベレストを見たことは、無かったし、

「現地での呼称を尊重する。」という考えだったので、

自分の名前が付いたことに対して、

あまりうれしくないどころか、嫌がり、

この名前が、現地名と無関係と言って反対し、

地理学協会に、手紙を書き送ったそうです。

ネパールなどの地元で、
「デヴァドゥンガ」、「チョー・ルンブ」、
「チョモ・ルンモ」、「チョモカンカル」というのが、
山の名前だという情報もありましたが、
正確な情報では無かったので、

1856年9月、イギリス王立地理学協会が、
「エベレスト」の名称を、正式に決めたそうです。

ちなみに、
インドは、1947年まで、イギリスの植民地だったので、
インド測量局は、イギリス人が、局長をしていました。

ちなみに、「エベレスト」という名前に対抗して、
1950年代に、中国政府が、
「世界の母なる女神」を意味するのチベットで、
使われていた名前の「チョモランマ、珠穆朗瑪」を採用し、

1960年代に、ネパール政府が、
世界の頂上を意味する「サガルマータ」を採用したそうです。

この名前はネパールの歴史学者『バーブラーム・アーチャリヤ』が、
1938年に文芸誌『シャルダ』に紹介したものですが、
一部の地域での名称だったそうです。

そして、
世界最高峰と判明したエベレストは、

多くの人々が、
初登頂の名誉をかけて争いましたが、
誰も頂上に立つことは、出来なかったそうです。

標高8000mを越えると、空気が標高0mの3分の1ほどになり、

深刻な酸素不足となり、

心肺機能が弱まって筋肉組織が衰え、
睡眠で十分な休息をとることも難しくなるそうです。

「何故、あなたはエベレストに登りたいのか?」と
ニューヨーク・タイムズの記者に問われて、

「そこにエベレストがあるから。
(日本で、「そこに山があるから」と意訳)」と答えた

有名なイギリスの登山家『ジョージ・ハーバート・リー・マロリー』も、

エベレスト登山で、命を落としました。




そして、1953年5月29日、
ニュージーランド人の冒険家『エドモンド・ヒラリー』と
シェルパ族の『テンジン・ノルゲイ』により、

世界で初めて登頂に成功したそうです。

下山後、
『エドモンド・ヒラリー』と『テンジン・ノルゲイ』の2人は、
インドとネパールから、
予想以上の歓迎、賛辞を受け、
神の再来として、あがめられたそうです。

その後、現在までに、5千人以上の人が、
エベレスト登頂に成功しているそうです。

ちなみに、
『エドモンド・ヒラリー』は、
北極点、南極点、エベレスト山頂の三極を制覇する
スリー・ポール・チャレンジを、
世界で初めて達成したそうです。

ちなみに、
エベレスト登頂50周年を記念して、

2002年、
『エドモンド・ヒラリー』の長男で冒険家の『ピーター・ヒラリー』と、

『テンジン・ノルゲイ』の孫『タシ・ワンチュク・テンジン』は、

一緒にエベレストに登頂に成功したそうです。

エベレストは、
チベットルートとネパールルートの2種類が存在しますが、

ほとんどの登山家は、ネパールルートを選ぶそうです。

登山には、ネパール政府の登山許可証が必要ですが、
手数料は、1人だけで申請したなら、
250万円かかるそうです。

登山許可は一度の申請で、2年間有効だそうです。

複数で申請すると、グループ割引があるそうです。

例えば、7人グループだと、
グループ全体で、約780万円だそうです。

ネパールにとって、
登山許可証の費用は、大きな外貨収入源だそうです。

ネパールは、
2018年は、800人以上に登山許可証を、発給したそうです。

チベットでも、2019年5月までに、
約140人に許可書を、発給したそうです。

何故、多くの人が、
ネパールルートを選ぶのかと言うと、

チベットルートだと、
頂上付近に、30mの断崖絶壁があり、
登頂率が極端に低いからだそうです。

そのため、チベットの登山許可証手数料は、
安く、50万円位だそうです。

エベレストでは、頂上まで、
登攀を補助するための固定ロープのフィックスロープが張られ、
そのロープを自分の体に付けた金属リングに2ヶ所固定し、
滑落しないようにしながら登っていくそうです。

ちなみに、
頂上までフィックスロープを設置したのは、
8人の優秀なシェルパたちだそうです。

フィックスロープを使用する使用料は、
グループで約25万円かかるそうです。

ベースキャンプでのごみ処理代金の預け金が約40万円、
ネパール政府の人たちの滞在費約25万円も、
登山者が支払う事になっていて、
他にもいろいろと費用が必要で、
エベレスト登山には、多額の費用が必要だそうです。(続く)
関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント

ランキング

詳しくは分かりませんが、下のマークを、

ランキング

クリックすると、点が入るらしい

ジャンルランキング

カテゴリ

鳥 (2)
魚 (5)

プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

検索フォーム

月別アーカイブ