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クマの『ヴォイテク』伍長(5)

『ヴォイテク』伍長は、
付近の住民や報道の間で人気者になり、
村の舞踏会や子供達のパーティに参加したり、

子供を背中に乗せたり、
村人が橋の上から見守る中、川で泳ぎを披露したので、

スコットランド・ポーランド文化協会の
名誉会員に選ばれたそうです。

そして、
1947年、戦後処理が終わり、
『ヴォイテク』伍長は、ポーランド軍から、
除隊する事になりました。

ポーランド軍兵士たちは、
祖国ポーランドに『ヴォイテク』伍長と一緒に、
行きたいと思いました。

しかし、大戦後、
ポーランドは、支配していたドイツは撤退したのですが、
ソ連はそのまま支配域を広げたので、

自由の国だったポーランドは、
制限の多い共産主義国となり、

反抗する多くの市民が、追放や処刑されので、

ポーランド軍兵士たちは、
ポーランドに行く事でさえ、困難になっていました。

そのため、シリアヒグマの『ヴォイテク』伍長は、
英国のエディンバラ動物園に、引き取られる事になりました。

ポーランド軍兵士たちは、
『ヴォイテク』伍長とずっと一緒に居たかったので 

ポーランド軍兵士たちは、『ヴォイテク』伍長に、

「ポーランドが、自由の国になったら、
必ず一緒に、ポーランドに行こう。

動物園には、何度も会いに来るから。」と言って約束しました。

そして、
ポーランド軍兵士が、
エディンバラ動物園の檻に入れるため、
『ヴォイテク』伍長の鎖を外した時、

『ヴォイテク』伍長は、
ポーランド軍兵士の顔を、数回舐めてから、
檻に入ったそうです。

『ヴォイテク』伍長は、檻の中から、
ポーランド軍兵士を、じっと見続けていたそうです。



そして、ポーランド軍兵士たちが、
立ち去ると、悲しげに鳴き続けたそうです。

『ヴォイテク』伍長は、シリアヒグマなので、

人に慣れていても、猛獣に分類されるので、

動物園では、運動場付きの飼育場で、
動物には直接触らないという間接飼育で、
飼育されていました。

一般公開されると、
『ヴォイテク』伍長は、大人気だったそうです。

でも、
展示場では、岩山にじっと座っている事が、
多かったそうです。

その後、『ヴォイテク』伍長は、
リウマチによる関節の変形と食道炎となったので、

治療と安静を兼ねて、
狭いケージで過ごす事になったそうです。

自分が動物園勤務していた時も、
クマは、間接飼育をしていました。

自分は、クマに直接触ったのは、
外傷による骨折の治療で麻酔をかけた時と
生まれた時の体重測定時位で、

麻酔をかけていない成獣のクマは、
危ないので、触ったことは、ありません。

ジャーナリストや元同僚のポーランド兵や市民が、
タバコが好きな『ヴォイテク』伍長のために、
タバコを投げ与えたりしていましたが、

タバコに火を点ける者がいなかったため、
タバコを吸えなかったので、食べていたそうです。

ポーランドに戻っていた元ポーランド軍兵士たちが、
英国政府と共に、
すこし、自由が認められたポーランドで、
ポーランドの動物園で、『ヴォイテク』伍長を、
引き取ってもらえないかと働きかけたそうですが、

当時のポーランド共産党政府は、

『ヴォイテク』伍長が、
戦時中の第2軍団のシンボルであるという理由で、

その願いを却下したそうです。

その後、
『ヴォイテク』伍長は、16年間、英国に住みましたが、

ポーランド兵士たちと過ごした濃度の濃い5年間が、
忘れられなかったらしく、



英国の動物園の生活に馴染む事は難しく、

ポーランド語での呼びかけにしか、反応しなかったそうです。

最初は、

多くの元同僚のポーランド兵たちが、

動物園に会いに来ていましたが、

次第に、
元同僚のポーランド兵たちの来る回数が減り、

今まで多くの人と触れ合っていたのが、
直接人と触れ合うことが出来なくなり、

自由もなくなり、1頭の生活となったこともあり、



次第に、落ち込むようになり、
檻の中を、行ったり来たりするという
常同行動が見られるようになり、
かなり気難しくなったそうです。

ただし、
元同僚のポーランド兵たちが訪れると、
『ヴォイテク』伍長は、とても喜び、

元同僚のポーランド兵が呼びかけると、
手を振って応えたそうです。

ある時、元ポーランド軍の中尉が、
動物園にバイオリンを持って来て、舞踊曲を演奏すると、
『ヴォイテク』伍長は、昔と同じように踊り出したそうです。

そして、1963年、21歳で死亡しました。
死亡した時の体重は、約250kg、体長は、約180cmでした。

かつての戦友はもちろんこと、英国中が悲しみに沈んだそうです。

『ヴォイテク』伍長の死後、
英国のエディンバラ動物園、
ダックスフォード帝国戦争博物館、シコルスキ博物館など、
各地に記念碑が建てられました。

ぼる3

チャールズ皇太子とその息子達が、
帝国戦争博物館を訪れた時、

ガイドが説明しようとすると、

「『ヴォイテク』伍長の話は、
何度も読んだり、聞いたりして、よく知っているので、
説明しなくてよい。」と言ったそうです。

YOU TUBEで、
『ヴォイテク』伍長が楽しそうに、兵士と遊んでいる動画や、

『ヴォイテク』伍長と一緒に遊んでいた元同僚のポーランド兵のインタビュー動画が、
見れます。
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。

海外14カ国を、旅しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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