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クマの『ヴォイテク』伍長(4)

『ヴォイテク』は伍長は、1944年のイタリアで行われた
モンテ・カッシーノの戦いに、参戦することになりました。

『ヴォイテク』伍長は、
初めて本格的な戦闘を目の当たりにしたのですが、

最初、
最前線の激しい砲火の音や地響きに驚いて、
落ち着かなかったのですが、

しばらすると、大きな音や振動にも慣れて、
木に登って遠くの爆発を眺めたりしたそうです。

そして、『ヴォイテク』伍長は、
兵士たちが、輸送車に、弾薬や燃料、食糧などが入った箱を、
積み下ろししているのを、じっと見ていたそうです。

ある日、『ヴォイテク』伍長は、輸送車に乗せるための箱に、
物資を入れる作業していた兵士たちに、近づいて来ました。

そして、『ヴォイテク』伍長は、2本足で立ち上がり、
前足を差し出しました。

兵士たちは、試しに空箱を『ヴォイテク』の前足に置くと、
そのまま箱を、落とさないように器用に、
輸送車まで運んだそうです。

そして、箱を輸送車にいた兵士に箱を渡すと、
物資を入れる作業していた兵士たちの所に、
戻ってきたそうです。

そのため、
兵士たちは、力持ちの『ヴォイテク』伍長に、
弾薬運搬作業を手伝ってもらおうと考え、

約50kgの重たい迫撃砲の弾丸などが詰まった
箱を運ぶよう訓練したそうです。



でも、『ヴォイテク』伍長は、要領がよく、
訓練中は、いつも空の箱を選び、運ぼうとしました。

しかし、モンテ・カッシーノの戦いの実戦では、
『ヴォイテク』伍長は、空の箱を選ばず、
弾薬や補給物資の入った重たい箱を、
自らすすんで運び、

足場の悪い山岳地帯でも、
決して落とすことは無かったそうです。

モンテ・カッシーノ戦の終結後、
ポーランド軍の司令部は、『ヴォイテク』伍長の人気を認め、
「砲弾を持つクマをかたどった紋章」を、
第22中隊の公式シンボルとすることを承認したそうです。

22輸送中隊の部隊章

そして、戦争が終わり、
『ヴォイテク』伍長は、ポーランド軍兵士たちと共に、
スコットランドのバーウィックシャーに移動しました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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