クマの『ヴォイテク』伍長(4)
- 2019/06/16
- 05:05
モンテ・カッシーノの戦いに、参戦することになりました。
『ヴォイテク』伍長は、
初めて本格的な戦闘を目の当たりにしたのですが、
最初、
最前線の激しい砲火の音や地響きに驚いて、
落ち着かなかったのですが、
しばらすると、大きな音や振動にも慣れて、
木に登って遠くの爆発を眺めたりしたそうです。
そして、『ヴォイテク』伍長は、
兵士たちが、輸送車に、弾薬や燃料、食糧などが入った箱を、
積み下ろししているのを、じっと見ていたそうです。
ある日、『ヴォイテク』伍長は、輸送車に乗せるための箱に、
物資を入れる作業していた兵士たちに、近づいて来ました。
そして、『ヴォイテク』伍長は、2本足で立ち上がり、
前足を差し出しました。
兵士たちは、試しに空箱を『ヴォイテク』の前足に置くと、
そのまま箱を、落とさないように器用に、
輸送車まで運んだそうです。
そして、箱を輸送車にいた兵士に箱を渡すと、
物資を入れる作業していた兵士たちの所に、
戻ってきたそうです。
そのため、
兵士たちは、力持ちの『ヴォイテク』伍長に、
弾薬運搬作業を手伝ってもらおうと考え、
約50kgの重たい迫撃砲の弾丸などが詰まった
箱を運ぶよう訓練したそうです。

でも、『ヴォイテク』伍長は、要領がよく、
訓練中は、いつも空の箱を選び、運ぼうとしました。
しかし、モンテ・カッシーノの戦いの実戦では、
『ヴォイテク』伍長は、空の箱を選ばず、
弾薬や補給物資の入った重たい箱を、
自らすすんで運び、
足場の悪い山岳地帯でも、
決して落とすことは無かったそうです。
モンテ・カッシーノ戦の終結後、
ポーランド軍の司令部は、『ヴォイテク』伍長の人気を認め、
「砲弾を持つクマをかたどった紋章」を、
第22中隊の公式シンボルとすることを承認したそうです。

そして、戦争が終わり、
『ヴォイテク』伍長は、ポーランド軍兵士たちと共に、
スコットランドのバーウィックシャーに移動しました。(続く)
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