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マタギから聞いた話(17)-山奥の巨大な石の建築物

マタギの語り部でもある
シカリのSさん親子から聞いた話を続けます。

「迷い家」は、新聞に載ったことがあります。

ある時、岐阜県白川村の笈ヶ岳で、
マタギのAさんが、クマを追ったそうです。

もう少しというところで逃げられ、
気が付くと、かなり山深くまで入り込み、
何十年も山に入っているので、
ほとんどの山の事は、知っているつもりでいたが、

来たことがない所まで来ていました。

そして、彷徨っていると、
突然、目の前に巨大な石の建築物が現れたそうです。

建築物は、5層の構造で、3階までは螺旋階段があり、
沢山の仏像が安置してあったそうです。

そして、その後、迷いましたが、
何とか、里まで戻ったそうです。

マタギのAさんは、里の人に山奥で見た事を話すと、

笈ヶ岳の山奥に、
誰も知らない巨大な石の建築物が、
あるという事が、話題となりました。

その時の、
1894年発行の「岐阜日日新聞」によると、
「天然石造希代の塔 発見」との見出しで、

「飛騨国大野郡白川村字加順良の
人家を距ること三里余の深山に一基の石造塔あり。

全体の高さ約21mにして、円形にて五層となり。

各層とも外面に何か彫刻しあるが如く見ゆれども、
青苔一面に覆ひ居りて其何たるを見分くるに由なく、

下層には5個、2階には4個、3階に4個、
4階、5階に各3個づつの窓あり。

3階までは内部昇り得られ、3階の内面には仏像彫刻あり。
4階、5階は昇り難し。

下層より3層までは、左り巻きの恰も縄の如き欄干様のものあり。

而して此の塔の希代なると云うは、

数個の岩石を累々積み重ねたる物にあらずして、

全体一個の黒い自然石より成る。

塔の四面は、
約100m四方の大巌石にて、
其の巌が基礎と成りて、

突起せる部分が右の塔なり。

また塔の傍らに石造の築山様のものありて、
その頂上より冷水噴出す。

その他塔を離るる一丁余の所に数個の巌穴あり。

入口は、約8m、高さ約3m。

塔の周囲の約300mは、樹木一本も生え居らず。

因に記すこの塔は、
本年の春同地の猟夫が狩猟の為め、
山深く跋渉歩く際に不図発見したるものにて

山間僻地の事とて何人の建設せしものなるか?

又岩窟は如何なるものなるか?を研究する好古家も無く、

唯不思議な塔と言ひ伝え居るのみなりと云へり。」と書いてあります。

その後、
マタギのAさんも含めたくさんの人、

そして、
NHKも番組の企画としても、

巨大な石の建築物を捜索しましたが、

見つからなかったそうです。

ちなみに、
今も探している人がいるそうです。

しかし、
最近、岐阜県白川村に住むGさんが、
山奥に入り込んだ時、
立派な建物に遭遇したそうです。

こんな山奥になぜあるんだろうと不思議に思い、
中へ入ってみると、

広間には荘厳な仏像が、
6体安置されていたそうです。

Gさんは、しばらくそこで休憩をしてから、
帰ったそうです。

その後、
Gさんは、その場所に行こうとしましたが、
行くことは出来なかったそうです。

「迷い家」は、一生のうち、
一度しか訪れることは出来ないと言われています。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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