マタギから聞いた話(16)-もう少し
- 2019/03/13
- 05:05
備中松山藩主の子『板倉勝宣』と、
日本山岳会設立者で、
新潟県の士族の『槇有恒』と、
第11代日本山岳会会長で、
慶応義塾大学山岳部創設メンバー『三田幸夫』が、
案内人と一緒に、
立山松尾峠に、登山した時、
板倉たちが、
最先端のスキーを使用したので、
案内人らとの移動速度に差がついてしまい、
かなり離れてしました。
その上、
猛吹雪に見舞われ、遭難したそうです。
その時の『三田幸夫』の手記を読むと、
レンガ造りの「迷い家」を見たそうです。
家の前には、
男が立ち、女が手桶を持っていたそうです。
家の中には、ストーブがあり、
暖かそうな火が燃えていて、
その上にはヤカンが乗り、
暖かそうな湯気が出ていたそうです。
そして、男は、
「最近、このあたりで、凍死した人がいたので、
注意して下さい。」と呼び掛けてきたそうです。
『三田幸夫』は、こんな所に家は無いし、
幻覚と幻聴だ思っても、
はっきり見えて、聞こえたそうです。
試しに、木の枝や雪の塊を数回投げましたが、
家の壁にぶつかったそうです。
もしかすると、
本物かもと思い、
助けてもらおうと思い、
その家に進んで、
家の門をくぐろうとすると、
突然、家は消えて、
そこには、切り立った崖があり、
もう少し進んでいたら、
落下していたそうです。
その後、
『槇有恒』と、『三田幸夫』は助かりましたが、
残念ながら、『板倉勝宣』は、
低体温症により、死亡したそうです。(続く)
- 関連記事