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不死身の分隊長-『舩坂弘』(9)

ほふく前進で、
飛行場まであと少しという所まで進みました。

あと少しで、実行出来ると思って頭を上げた時、

そこに例の大男が立っていました。

そして、
拳銃を突きつけられ、テントに戻されました。

『舩坂弘』さんは、覚悟を決めて、

「何度でも同じことをやるので、殺せ!」と言いました。

すると、大男は、たどたどしい日本語で、

「貴方が、歩哨に私の日程を尋ねたと、

私に、連絡が来ました。

貴方が何かを計画するとしたら、
今夜だと思い、

仕事の途中だけど、
切り上げて帰って来ました。

以前、貴方と同じ様に、
脱走しようとした日本兵が、射殺されました。

貴方は、私が帰って来なければ、
即座に射殺された事でしょう。
 
私は、それが心配で、大急ぎで帰ってきました。

無事でよかったです。

でも、
貴方は、捨て身で、無謀すぎます。

普通にしていても、いずれは、寿命で死ぬので、
自分から、死に急ぐ必要はありません。

貴方の事を待っている人もいるでしょう。
生きる希望を捨てないで下さい。

私の言う事を理解できますか?」と聞きました。

『舩坂弘』さんは、
大男の人間味あふれる言葉が心にしみましたが、

「わからない!」と大声で叫びました。

その後、
『舩坂弘』さんは、爆破計画実行を諦め、大人しくなり、
『舩坂弘』さんら捕虜は、ハワイへ送られる事になりました。

『舩坂弘』さんが、
ペリリュー島を離れようとした時、
その大男が、やって来ました。

「あなたは、死んではいけない。

生きて日本に帰りなさい。

あなたの家族が待っています。

私は、あなたが、無事に日本に帰れるように、

神に祈ります。

今後、何か困ったことがあれば、
自分が出来る事なら、連絡して下さい。」と言って、

自分の名前が記されていた紙片を、
渡してきました。

『舩坂弘』さんは、
頭を下げて、「ありがとう。」と素直に言って、

その紙を、ポケットに入れました。

でも、次の収容所で、紙は取り上げられました。

しかし、その後、大男にも何とか連絡を取りたいと考え、
米軍関係者に、110通もの手紙を出したそうです。

そして、
戦後ようやく、
通訳だった『F.V.Crenshaw』伍長を見つけ出し、



2人は生涯の友となったそうです。

そして、『舩坂弘』さんは、
『F.V.Crenshaw』さんに、名刀「一文字行広」を贈ったそうです。

『F.V.Crenshaw』さんは、
『舩坂弘』さんとの交流で、

「日本にはアメリカにない精神的なものがある。

それを手本にしなければならない。」と言って、

再開後、
『舩坂弘』さんから刺激を受けた
『F.V.Crenshaw』さんは、
運送会社の副社長だったのを辞めて、

『舩坂弘』さんの「大盛堂書店」から、名前をもらい、
「タイセイドウ・インターナショナル」という、
貿易会社を設立したそうです。

『舩坂弘』さんは、
終戦まで収容所を転々とし、1946年に帰国し、
栃木の実家に帰りました。

しかし、パラオのアンガウル島の日本軍は、
最後には、全員が玉砕していたので、

『舩坂弘』さんの実家には、
既に、戦死公報が届けられていたので、

『舩坂弘』さんの葬式まで行っていたそうです。

そのため、
『舩坂弘』さんが、
生還の報告をしようと仏壇に合掌したら、
仏壇に真新しい位牌があって、
そこに、『舩坂弘』さんの戒名「大勇南海弘院殿鉄武居士」が、
書かれてあったそうです。

その後、村の人々は、帰ってきた『舩坂弘』さんが、
全身、傷だらけで、服もボロボロだったので、
幽霊か魔物が化けたものに違いないと噂したそうです。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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