不死身の分隊長-『舩坂弘』(5)
- 2018/12/17
- 05:05
戦車1個大隊、砲兵6個中隊、高射機関砲大隊など、
総勢1万人が駐屯していました。
その中を『舩坂弘』さんは、
夜の暗闇に紛れて、食事もとらず、
数日かけて這って行き、
米軍の前哨陣地を突破し、
米軍の司令部(本部)と思われるテントの近くまで、
到達しました。
『舩坂弘』さんは、
指揮官らが集合する時に突入しようと考え、
物陰で待っていると、
ジープが続々と乗り付けて来て、
指揮官たちが集まり、
司令部(本部)テントに入って行きました。
『舩坂弘』さんは、司令部(本部)テントに、
ある程度人数が集まったので、
右手に手榴弾の安全栓を抜いて握りしめ、
左手に拳銃を持ち、全力を絞り出して立ち上がりました。
この時、『舩坂弘』さんは、
左大腿部裂傷、左上腕部の貫通銃創、頭部打撲傷、右肩捻挫、
右足首脱臼、左腹部盲貫銃創など24カ所の重傷を負った上、
連日の戦闘による火傷があり、
全身20個の砲弾の破片が、体に食い込んでいました。
失血と極度の栄養失調により、
両目はほとんど見えない状態でした。
全身血まみれで、服はボロボロで、
ガリガリの異様な風体の日本兵が、
突然、茂みから、出て来たので、
アメリカ兵たちは、
敗退して全滅に近い日本兵が、
前線を突破して、
司令部(本部)のテントに来るとは、
全く予想もしていなかったので、
横溝正史の映画「八つ墓村」の
頭に懐中電灯を2本装着している
『多治見要蔵』のような姿に、
幽鬼が出たと思い、
物凄くビックリして、声も出なかったそうです。
『舩坂弘』さんは、司令部テントに向かって、
最後の力を振り絞って駆けました。
そしてテントに到達し、
手榴弾で、爆破しようとした瞬間、
銃で首を撃たれました。
そして、『舩坂弘』さんは、
倒れ、動かなくなりました。
米軍の軍医が来て、
血だらけの『舩坂弘』さんを診断した結果、
戦死と判断しました。
そして、
『舩坂弘』さんが、
手榴弾と拳銃を握りしめたまま離さないので、
軍医は、
指を一本一本解きほぐしながら、
集まって来たアメリカ兵に、
「これがハラキリだ。
日本のサムライだけが出来る勇敢な死に方だ!」と
話したそうです。
そして、『舩坂弘』さんを、
一時的な医療器具の倉庫にもなっていた
死体安置所に運びました。(続く)
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