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不死身の分隊長-『舩坂弘』(4)

『舩坂弘』さんは、

「負けてたまるか!俺の根性をみせてやる!
味方の陣地に行く!」と、

近くにあった日章旗で、
足を包帯代わりに縛り、足が使えないので、
手で這って北西にある洞窟の陣地に行きました。

着いた時には、
死体が這ってきたと評判でしたが、
翌日には、左足を引き摺りながらでも歩けるまで、
回復したそうです。

『舩坂弘』さんは、
その後も何度となく瀕死の重傷を負いましたが、
不思議と翌日には、回復の兆しがあったそうです。

『舩坂弘』さんは、韓国映画「超能力者」の『ギュナム』、
日本映画「モンスターズ」の『田中終一』のように、
傷がすぐ治る体質らしく、

後日、その事について聞かれると、
『舩坂弘』さんは、「生まれつき、
傷が治りやすい体質です。」と笑って答えたそうです。

しかし、食料も水もない状況で、
その後も戦っていましたが、

米軍の爆撃、砲弾などの攻撃がすごく、
重体、重傷兵が増え、
洞窟の陣地は、自決の手榴弾を求める重傷者の呻き声で、
生き地獄の様相でした。

『舩坂弘』さんも、腹部を貫通する銃創を負いました。

洞窟の陣地は、
非衛生的な状態だったので、
腹部の傷が化膿し、ウジが湧きました。

『舩坂弘』さんは、衰弱し、
極度の栄養失調と失血で、両目が、かすんできました。

そして、傷口にいるウジを見て、
このまま苦しみながら死ぬより、自決しようと思ったそうです。

ちなみに、
ウジで傷を治すというマゴットセラピーがありますが、
後日詳しく話します。

そして、『舩坂弘』さんは、

【若年ニテ死スハ、考ノ道立タズ遺憾ナリ。
幸イ靖国ノ御社ニ参リ、御両親ノ大恩ニ報ユ、
今ヤ国家危急存亡ノ秋ニ、
皇天皇土ニ敵ヲ近ズケマイト奮戦セルモ、
既ニ満身創痍ナリ、天命ヲ待タズ、
敵ヲ目前ニ置キ戦死スルハ、切歯扼腕ノ境地ナレド、
スデニ必殺数百ノ敵ヲ斃ス、我満足ナリ。
七度生レ国難ヲ救ハント念願ス。
今従容ト自決ス、思ヒ残スコトナシ。

意訳:ここでで死ぬので、
日本での親孝行が出来なくなるので、残念です。

死んだら、靖国に行ってご両親の大恩に報います。

日本本土に敵を行かせないために、
奮戦したのですが、すでに満身創痍となり力尽きました。

敵を目前にして、自決するのは、残念ですが、
すでに数多くの敵を倒したので、満足しています。

再び、生まれ変わっても、日本のために頑張ります。

自分が出来る範囲で、
やるべき事は全てやったので、
思い残すことはありません。】と遺書を書きました。

そして、『舩坂弘』さんは、
自決するため、手榴弾の安全装置を外し、
自爆しようとしましたが、

不発に終わり、爆発しませんでした。

その時、『舩坂弘』さんは、
「何故、死ねないのか?何故、死なせて貰えないのか?」と、
死ねない事への絶望感を味わい、
何時間も茫然自失の状態となりました。

その最中にも、
絶えず米軍の爆撃、砲弾の音と振動が、
ありました。

洞窟の陣地には、
多数の兵士の傷の痛みに呻く声が、
満ちていました。

そして、『舩坂弘』さんは、

「どうせ死ぬなら、
その前に、せめて敵将に一矢報いる。」と考え、
米軍司令部への単身での斬り込みを決意しました。

そして、消毒のため、
洞窟に残っていた火薬を、
ウジのわいた腹部の貫通射創に詰め込みました。

そして、そこに火をつけました。
すると、傷口の両側から炎が噴き出したそうです。

その時、あまりの激痛に意識を失い、
半日ほど生死の間をさまよったそうです。

そして、『舩坂弘』さんは、
意識を取り戻した後、体に手榴弾6発をくくりつけ、
拳銃1丁を持って、洞窟を這い出ました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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