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日本を守るために命をかけて戦った人々(12)

特攻に使用していた零戦は、1942年までは、
世界水準を超えた戦闘能力で無敵と言われ、

アメリカ軍の戦闘機F4F「ワイルドキャット」では、
「零戦とは格闘戦してはいけない。

低速時に上昇中の零戦を、
追ってはいけない。」と厳命されていました。

しかし、
アメリカは、航空機生産能力は、
日本の約5倍と国力の差があり、

日本は、零戦の良い後続機が出来ませんでしたが、

アメリカでは、1943年より投入された
戦闘機F4F「ワイルドキャット」の後続機、

戦闘機F6F「ヘルキャット」は、

全てにおいて零戦より優れていたので、

制空権はアメリカに移りました。

その結果、
零戦は、特攻での消耗品扱いとなりました。

日本の上層部は、
敵が最も重視しているのは、
人的資源と考えていました。

そのため、
大量の敵を殺傷していけば、被害の拡大を恐れて
無条件降伏を回避することが出来て、

日本国が護持されるものと期待し、

日本は、本土決戦となれば、
上層部以外の全国民を、
特攻にという作戦を立案しました。

その事を知ったアメリカは、
自軍の損害を最小限に抑えるため、

ソ連の対日参戦を強く要請し、
北方領土が侵略されました。

特攻は、戦闘機以外も、
ロケットエンジンを搭載した人間爆弾「桜花」、

人間魚雷「回天」、「蚊龍」、爆弾を搭載した水上艇「震洋」、

爆弾を抱いて敵戦車の下に潜り込んで自爆などがありました。

資料により、数値は多少の変化はありますが、
海軍の特攻隊員戦死者数は、約4千人、
陸軍の特攻隊員戦死者数は、約千4百人、

この他に第二艦隊戦没者、
「回天」を搭載して出撃し未帰還となった母艦潜水艦搭乗員、
移動中の乗船海没などにより地上戦に参加した戦没者を入れると、

合計で、約8千-1万4千人以上だそうです。

航空特攻による戦果は、沈没55隻、死亡2457人、
水中特攻(回天)による戦果は、沈没3隻、死亡178人、
水上特攻(震洋・マルレ)による戦果は、沈没11隻、死亡150人

損傷による除籍処分でみると、戦果は、
航空特攻による、沈没23隻、死亡436人、
水上特攻(震洋・マルレ)による、沈没5隻、死亡1人
という記録もありますが、

アメリカが、公式に認めている特攻での被害は、

空母撃沈2隻、空母撃破18、戦艦撃破5、巡洋艦撃破8、
駆逐艦撃沈3、上陸用舟艇撃沈14で、
命中率は、約5%以下でした。

ちなみに、
熟練パイロットは、最初の方で特攻していたので、

最後の方は未熟なパイロットが特攻を行う事になり、
燃料不足、航空機不足のため、
特攻には、
練習機や旧式機などで、はっきり言えば、
ボロボロ状態で行ったそうです。

アメリカは、特攻を受けてすぐに、

特攻対策として、

艦上戦闘機を増やし、

広範囲にレーダー防空対策を行い、

特攻機が来る30分前には、
臨戦態勢が出来て、

特攻機は、体当たり用の爆弾しか武器が無く、
飛行技術が未熟で、ボロボロの機体を使用し、
燃料もあまりなかったので、

ものすごく簡単に、撃ち落す事が出来たので、

後期には、特攻がものすごく困難になり、
成果も無くなっていったそうです。

特攻で、敵の護衛空母を沈没させたと言っても、
元々商船だったものなどを改造したもので、

軍艦ではないため防備が甘く、

特攻が主目的とした正規空母は、
一隻も沈まなかったそうです。

効率の悪さ、
そして、物資が不足しているのに、
特攻して、物資を消費する事を考えれば、

特攻は行わないと思うのですが、

国のトップが、将来を考えず、

あるいは、
トップが自分たちの事しか考えていなかったか、
破れかぶれになっていた、と言う事です。

だから、
世界の政治家は、
才知や徳のある賢者でないと困ります。

地球全体は、基本的には、弱肉強食の世界ですが、

せめて、人間だけでも、
地球全体の事を考え、手を取り合い、
お互いを尊敬し、思いやりの心を持ち、
戦争の無い世界に、向かって欲しいです。

特に、政治に興味が無く、行っても変わらないと言って、
選挙に行かない人が多いみたいですが、

シッカリ選ばないと、怪しい政治家が増え、
将来の雲行きが怪しくなり、

やがては、戦争が始まり、
自分達が苦しむ事になります。

その時に後悔しても遅いです。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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