日本を守るために命をかけて戦った人々(10)-特攻を推進派『大西瀧治郎』
- 2018/12/08
- 08:08
軍需産業強化を担当する軍需省に長年勤務していて、
日本の国力を知っていたので、
「戦争は続けるべきではない。
フィリピンを最後の戦場にして、
早期に講和すべきだ。」と考えていました。
そして最初、『大西瀧治郎』中将は、
特攻は外道と言っていましたが、
戦況の悪化により、途中から特攻推進派になり、
「俺の作戦指導に対する批判は許さん。
反対する者は叩き切る。
特攻隊は、国が敗れるときに発する
民族の精華。」と言うようになったそうです。
ただし本心は違ったらしく、
「国の危機に、自分の国を守ろうとして、
自分を犠牲にした若者がいたという歴史的事実は、
時代が過ぎても、日本人の心の支え、誇りになるだろう。
そして、思いやりがあって情け深い天皇陛下が、
特攻の事をが聞いたら、
必ず、戦争を止めろと仰せられるだろう。
天皇陛下のお言葉なので、
軍上層部は、逆らうことが出来ないだろう。
これにより、日本民族は、救われるだろう。」と
一部の人には、話していたそうです。
『大西瀧治郎』中将の強引な神風特攻隊拡大に、
批判的な航空幹部もいました。
特攻が何度も行われ、兵隊が減っていった時、
一航艦首席参謀『猪口力平』が、
「いつまで、特攻をするのですか?」かと質問した時、
『大西瀧治郎』中将は、
「今日本にある機数や技量では、敵の餌食になってしまうばかりだ。
部下の死ぬ場所を与えるのは、主将として大事なことだ。
だから自分は特攻を大愛と信ずる。
小さい愛に拘泥せず、このまま特攻を続ける。」と答えたそうです。
そして、終戦。
神風特別攻撃隊の創始者『大西瀧治郎』(54歳)は、
「俺はあんなにも多くの青年を死なせてしまった。
俺にようなやつは無間地獄に墜ちるべきだが、
地獄の方が、入れてはくれんだろうな。」と言って、
玉音放送の翌日1945年8月16日の午前2時頃、
官舎にて遺書を書き残し、
腹を十字に切り、頸と胸を刺し自決しようとしました。
それを、
官舎の使用人が発見し、連絡しました。
そして、軍医が延命処置をしようとすると、
「多くの若者を死なせた責任を考えれば、
自分は苦しみながら死ななければならない。
生きるようには、してくれるな! このままにしてくれ!
延命処置と介錯もいらない!」と処置を断りました。
そして、『多田武雄』次官や
政界の舞台裏で、
日韓国交回復交渉、核拡散防止条約、
日中国交正常化などに関わる政策提言を行い、
関係者多数が入閣をしていた「国策研究会」を発足させた
『矢次一夫』や、
右翼運動家で、暴力団「錦政会(後の稲川会)」顧問で、
政財界の黒幕で、
後日「ロッキード事件」で有名になる
『児玉誉士夫』ら、
多くの怪しい闇の関係者が駆けつけました。
『大西瀧治郎』は、『児玉誉士夫』に向かって、
「貴様がくれた刀が、切れぬばかりに、また会えた。
全てはその遺書に書いてある。」と言ったそうです。
すると、
『児玉誉士夫』は刃物を出し、自決しようとしたそうです。
『大西瀧治郎』は、
「馬鹿もん、貴様が死んで、糞の役に立つか。
おまえは生きるんだよ。
生きて新しい日本を作れ。」と言ったそうです。
そして、
『大西瀧治郎』は、
12時間以上もの間、壮絶な激痛に耐えた後、亡くなりました。
遺書
【特攻隊の英霊に申す 善く戦いたり深謝す
最後の勝利を信じつつ肉弾として散花せり
然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり、
吾死を以って旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす
次に一般青壮年に告ぐ
我が死にして軽挙は利敵行為なるを思い
聖旨に副い奉り自重忍苦するの誡ともならば幸なり
隠忍するとも日本人たるの矜持を失う勿れ
諸士は国の宝なり 平時に処し猶お克く
特攻精神を堅持し 日本民族の福祉と
世界人類の和平の為 最善を尽せよ
意訳:
特攻隊の方々、よく戦ってくれて、心から感謝します。
貴方たちは、日本の最期の勝利を信じて、戦場で散りました。
しかし、
貴方たちの尊い信念に答える事は、出来ませんでした。
私は自らの死をもって、
君たちと君たちの遺族に謝罪します。
これから戦後の日本を生きる青少年たちに、
言いたい事があります。
私の死は軽々しい行動を取り、利敵行為となってしまうから。
私の死は陛下の尊い決断に従ったものだ。
だから、これが自らへの戒めだと思ってくれれば嬉しい。
戦後を生きる日本人たちよ、
これから厳しい時代を生きるだろう。
だが、どんなに苦しくても、
日本人としての誇りを決して失わないでほしい。
君たちは、日本の宝だ。
どんな時も、「絶対くじけないんだ!」という気持ちを持ち続け、
日本全民族の福祉と世界の平和の為に、最善を尽くして下さい。】
辞世の句は、「すがすがし 暴風のあと 月清し」と
「これでよし 百万年の 仮寝かな」だそうです。(続く)
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