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日本を守るために命をかけて戦った人々(10)-特攻を推進派した人々

特攻は、マリアナ沖海戦の敗北後、
検討され始めました。

マリアナ沖海戦の敗北後、
元帥会議が行われ、『伏見宮博恭王』より、

「陸海軍とも、
何か特殊な兵器を考えた戦争をしなければならない。

戦局がこのように困難になった以上、
航空機、軍艦、小舟艇とも特殊なものを考案し、
迅速に使用を要するを要す。」と発言があったそうです。

そして、
艦船に対する攻撃法を研究したのですが、

航空機による通常雷撃が、
アメリカ艦隊に対して、
ほぼ通用しなくなってきていました。

成果を挙げていた反跳爆撃なども研究が行われ、
一定の成果はありましたが、爆弾の初速が低下することや、
航空機の軽快性を確保するためには、
大重量の爆弾を携行できないことが判明し、

大きな成果を挙げられませんでした。

そのため、圧倒的に優勢な敵航空戦力に対し、
尋常一様な方策では対抗できないとの結論に至り、

1944年3月に、
艦船体当たりを主とした航空特攻戦法を検討するため、

第三陸軍航空技術研究所主催の戦技研究会開催され、
軍関係者と、
東京帝国大学の建築科『浜田稔』教授や『青木保』教授、
東北帝国大学『抜山四郎』教授、『鈴木隆』教授、
九州帝国大学『栖原豊太郎』教授が、招集されました。

会議で、

特攻を推進派したのは、

参謀次長兼務航空総監『後宮淳』大将、
陸軍航空本部次長『川辺虎四郎』、
中将航空本部部長『隅部正美』少将、
第三陸軍航空技術研究所『正木博』少将、
東京帝国大学建築科『濱田稔』教授でした。

「操縦者の消耗が激しく、
操縦技術が未熟な者に艦船を沈める事が困難なので、
有効なのは体当たりしかない。

爆弾と飛行機を5tの剛体とし、
人間が操縦するので必中であり、
1機で、1鑑沈めることが出来る。

陸軍の爆弾でも、飛行機でも装甲を貫通できる爆弾はなく、
体当たりしか策は無い!
他の方法なんてあり得ない!」と主張しました。

それに対して、

特攻を反対したのは、

軽爆実施学校校長『藤塚止丈雄』中将、
航空総監部教育課長『秋山紋次郎』大佐、
陸軍航空審査部『竹下福寿』少佐、
教導飛行研究部『福島尚道』、
航空技術大尉教導飛行研究部『岩本益臣』大尉でした。

「体当たりは、
操縦者の生命と飛行機を犠牲にするだけで、
効果があり得ない。

爆弾と飛行機との落下速度が違い、
体当たりはコンクリートに生卵をぶつける様なものだ。

飛行機には翼があり爆弾と同じ落下速度にならないし、
操縦が困難になる。

他の方法として、
跳飛爆撃を行い、艦船用の爆弾を使用する。」と主張しました。

そして、会議の結果、

「もはや航空特攻以外に戦局打開の道なし。
航空本部は速やかに特攻隊を編成し、
特攻実施に踏み切るべし。」という結論が出されました。

そして、
第4航空技術研究所長『正木博』少将によって、
「捨て身戦法による艦船攻撃の考案」が起草され、
対艦船特攻要領の研究が開始されました。

研究熱心な陸軍第三航空技術研究所『正木博』少将は、
出撃する特攻の出撃機の胴体に潜り込み、
整備兵に見つかり引きずり降ろされたそうです。

その時、『正木博』少将は、
「自分の目で、
体当たり効果を確かめたかった。」と言ったそうです。

『正木博』少将は、
1973年、76歳で死亡したそうです。

特攻に関しては、自責の念を持った人もいました。

終戦当日の1945年8月15日深夜に、

特攻を推進派した
中将航空本部部長『隅部正美』少将は、
家族で、最後の夕食を囲んだ後、

立川陸軍飛行場付近の多摩川河畔で、
『隅部正美』少将の母親と妻が見守る中、

『隅部正美』少将の19才と17才の娘2人が、
ヴァイオリンを奏でたそうです。

そして、深夜の静かな多摩川河畔に、
物悲しくも美しい音が、鳴り響いたそうです。

ヴァイオリンの演奏が終わり、
しばらく静寂が続いた後、

乾いた銃声が、4発続けて響き渡りました。

しばらく静寂が続いた後、

再び銃声が、1発聞こえて来ました。

近所に住んでいた人が、不審に思い、
近づいてみると、

『隅部正美』少将の娘2人はヴァイオリンを持ち、
『隅部正美』少将の母親と妻は、横になり、

中将航空本部部長『隅部正美』少将の手には、
しっかりと拳銃が握られていて、

家族5人は、頭から血を流し、
息をしていなかったそうです。

他にも、
1945年8月15日から16日にかけて、
攻撃機を作ったことに自責した
陸軍航空技術審査部員『水谷栄三郎』大佐や、
「天皇陛下と多くの戦死者にお詫びし割腹自決す。」と言って、
陸軍航空本部長『寺本熊市』中将、
航空総軍兵器本部の『小林巌』大佐など、
58人以上の航空隊関係者が、自決がしたそうです。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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