日本を守るために命をかけて戦った人々(10)-特攻を推進派した人々
- 2018/12/07
- 05:05
検討され始めました。
マリアナ沖海戦の敗北後、
元帥会議が行われ、『伏見宮博恭王』より、
「陸海軍とも、
何か特殊な兵器を考えた戦争をしなければならない。
戦局がこのように困難になった以上、
航空機、軍艦、小舟艇とも特殊なものを考案し、
迅速に使用を要するを要す。」と発言があったそうです。
そして、
艦船に対する攻撃法を研究したのですが、
航空機による通常雷撃が、
アメリカ艦隊に対して、
ほぼ通用しなくなってきていました。
成果を挙げていた反跳爆撃なども研究が行われ、
一定の成果はありましたが、爆弾の初速が低下することや、
航空機の軽快性を確保するためには、
大重量の爆弾を携行できないことが判明し、
大きな成果を挙げられませんでした。
そのため、圧倒的に優勢な敵航空戦力に対し、
尋常一様な方策では対抗できないとの結論に至り、
1944年3月に、
艦船体当たりを主とした航空特攻戦法を検討するため、
第三陸軍航空技術研究所主催の戦技研究会開催され、
軍関係者と、
東京帝国大学の建築科『浜田稔』教授や『青木保』教授、
東北帝国大学『抜山四郎』教授、『鈴木隆』教授、
九州帝国大学『栖原豊太郎』教授が、招集されました。
会議で、
特攻を推進派したのは、
参謀次長兼務航空総監『後宮淳』大将、
陸軍航空本部次長『川辺虎四郎』、
中将航空本部部長『隅部正美』少将、
第三陸軍航空技術研究所『正木博』少将、
東京帝国大学建築科『濱田稔』教授でした。
「操縦者の消耗が激しく、
操縦技術が未熟な者に艦船を沈める事が困難なので、
有効なのは体当たりしかない。
爆弾と飛行機を5tの剛体とし、
人間が操縦するので必中であり、
1機で、1鑑沈めることが出来る。
陸軍の爆弾でも、飛行機でも装甲を貫通できる爆弾はなく、
体当たりしか策は無い!
他の方法なんてあり得ない!」と主張しました。
それに対して、
特攻を反対したのは、
軽爆実施学校校長『藤塚止丈雄』中将、
航空総監部教育課長『秋山紋次郎』大佐、
陸軍航空審査部『竹下福寿』少佐、
教導飛行研究部『福島尚道』、
航空技術大尉教導飛行研究部『岩本益臣』大尉でした。
「体当たりは、
操縦者の生命と飛行機を犠牲にするだけで、
効果があり得ない。
爆弾と飛行機との落下速度が違い、
体当たりはコンクリートに生卵をぶつける様なものだ。
飛行機には翼があり爆弾と同じ落下速度にならないし、
操縦が困難になる。
他の方法として、
跳飛爆撃を行い、艦船用の爆弾を使用する。」と主張しました。
そして、会議の結果、
「もはや航空特攻以外に戦局打開の道なし。
航空本部は速やかに特攻隊を編成し、
特攻実施に踏み切るべし。」という結論が出されました。
そして、
第4航空技術研究所長『正木博』少将によって、
「捨て身戦法による艦船攻撃の考案」が起草され、
対艦船特攻要領の研究が開始されました。
研究熱心な陸軍第三航空技術研究所『正木博』少将は、
出撃する特攻の出撃機の胴体に潜り込み、
整備兵に見つかり引きずり降ろされたそうです。
その時、『正木博』少将は、
「自分の目で、
体当たり効果を確かめたかった。」と言ったそうです。
『正木博』少将は、
1973年、76歳で死亡したそうです。
特攻に関しては、自責の念を持った人もいました。
終戦当日の1945年8月15日深夜に、
特攻を推進派した
中将航空本部部長『隅部正美』少将は、
家族で、最後の夕食を囲んだ後、
立川陸軍飛行場付近の多摩川河畔で、
『隅部正美』少将の母親と妻が見守る中、
『隅部正美』少将の19才と17才の娘2人が、
ヴァイオリンを奏でたそうです。
そして、深夜の静かな多摩川河畔に、
物悲しくも美しい音が、鳴り響いたそうです。
ヴァイオリンの演奏が終わり、
しばらく静寂が続いた後、
乾いた銃声が、4発続けて響き渡りました。
しばらく静寂が続いた後、
再び銃声が、1発聞こえて来ました。
近所に住んでいた人が、不審に思い、
近づいてみると、
『隅部正美』少将の娘2人はヴァイオリンを持ち、
『隅部正美』少将の母親と妻は、横になり、
中将航空本部部長『隅部正美』少将の手には、
しっかりと拳銃が握られていて、
家族5人は、頭から血を流し、
息をしていなかったそうです。
他にも、
1945年8月15日から16日にかけて、
攻撃機を作ったことに自責した
陸軍航空技術審査部員『水谷栄三郎』大佐や、
「天皇陛下と多くの戦死者にお詫びし割腹自決す。」と言って、
陸軍航空本部長『寺本熊市』中将、
航空総軍兵器本部の『小林巌』大佐など、
58人以上の航空隊関係者が、自決がしたそうです。(続く)
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