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日本を守るために命をかけて戦った人々(9)-特攻を拒否した芙蓉部隊隊長『美濃部正』少佐(2)

軍令部作戦課は、

第1航空艦隊司令長官『大西瀧治郎』に、
『美濃部正』の夜襲隊を、手伝うように言われたので、

人員や機材などに関して、便宜を図りました。

『美濃部正』は、使い慣れた「月光」を希望しましたが、
すでに生産が中止されて、
十分な数が揃わないことが判明しました。

次に、新鋭陸上攻撃機「銀河」を希望しましたが、
20機ぐらいしかありませんでした。

その後、『美濃部正』は、
「彗星」が、大量に倉庫にあり、
誰も使わないという事を聞きました。

倉庫で眠っていた急降下爆撃機「彗星一二型」ですが、
ダイムラー・ベンツ社製の水冷エンジを、ライセンス生産した、
当時、最新鋭のエンジン「アツタ32型」を採用し、
高速での夜間飛行も難なくこなす事が可能な
高性能の飛行機でした。

しかし、
人材不足による不慣れな整備員と経験不足とが重なって、

続出するエンジントラブルを解消できなかったので、

誰も使いたがらなくなり、

最終的には、倉庫に放置されていました。

『美濃部正』は、
機体トラブルの解消を図るために、
「彗星一二型」を製造した愛知航空機へ、
整備員を派遣し、技術向上に努めました。

そして、
当時は最新鋭の兵器の
対地、対空用の3式1番28号爆弾や3式25番8号爆弾、

爆弾の頭から電光を発して地表近くでその反射光に反応して、
爆発して爆風や破片で、周囲に被害を与える31号光電管爆弾など、

特殊爆弾を積極的に採用しました。

そして、
人事局からも厚遇され、
『美濃部正』は、人事局のリストから、
水上機搭乗員、その他の地上人員も、
優秀な人材を指名する事が出来ました。

『美濃部正』は、期待に応えるため、
厳しい訓練を行いました。

夜間攻撃のため、

「猫日課」と称して、

昼夜を逆転させる生活を行い、

午前0時に起床し、1時に朝食、6時に昼食、
11時に夕食、午後4時に夜食として、

電灯使用を制限して、
夜目の強化を促したそうです。

時間的ゆとりと燃料の割当が少ないので、

座学の重視し、

図上での演習をくり返し実施し、

目標とする場所の立体模型を作って、

進入経路を覚え、

航法、通信、夜間の艦艇の見え方、
攻撃方法などの戦術、飛行機の構造、
機材等についての講義が頻繁に行われ、
技術向上に努めたそうです。

ちなみに、
1904年、
日本で初めての立体模型を作製し、
アメリカのセントルイス万国博覧会に、
出品した「大日本帝國交通地理模型」は、
『釜瀬新平』です。

詳しい話は、動物病院HPの歴史の話にあります。

ちなみに、
自分は、歴史と生物は、得意科目でしたが、
地理と技術・家庭の模型作製、
図画工作の工作は苦手科目です。

『美濃部正』は、
効率を第一にして実用的なことのみ、徹底して教えたので、
訓練時間を約1/3にまで短縮することが出来るようになり、

やっと離着陸ができるようになった経験の浅い搭乗員でも、
短期間で、往復約1700km、約5時間にも及ぶ
夜間飛行が可能となるまで鍛え上げました。

『美濃部正』は、

「敵機がいたらケツに付け。

あいつらが着陸する前には、滑走路に照明がつく。

そこを狙う。下からは絶対に撃たれん。

爆弾は、とにかく、当てさえすれば、燃える。」と指導しました。

部隊の根拠地となった静岡県藤枝基地から、
富士山がよく見えたので、
富士山の別名「芙蓉峰」に因んで、

『美濃部正』が、夜襲隊を、

「芙蓉隊(芙蓉部隊)」と命名しました。

芙蓉部隊所属の搭乗員は、



芙蓉(フヨウ)の花の薄紅色の

ふよう部隊
古い写真で、分かりにくいのですが、マフラーの色は、薄紅色です。

マフラーを着用していたそうです。

そして、
芙蓉部隊の猛訓練の成果は顕著に表れ、
確実に戦果を出したそうです。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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