日本を守るために命をかけて戦った人々(8)-イエローファイター『菅野直』
- 2018/12/02
- 05:05

第306飛行隊長で、
総撃墜数は計72機の撃墜王として有名で、
愛機「343-A-15」号機(紫電改)の機体には、
敵を、味方機ではなく、自分の方にひきつけるため、
機体に黄色のラインが描かれていたので、

米軍パイロット達の間では、
『イエローファイター』と呼ばれ、怖れられたそうです。
ちなみに、訓練生の時、
着陸事故の危険から着陸禁止になっていた滑走路に着陸し、
機体が転覆して大破する事故を起こしたりして、
4機以上の訓練機を壊したので、
同僚から、
『菅野デストロイヤー』と呼ばれていたそうです。
関大尉の特攻出撃を知ると自分も特攻と、
志願したのですが、
特攻隊の護衛任務になったため却下されたそうです。
『菅野直』は、破天荒な所がありました。
ある時、護衛機で、
特攻に向かう第二神風特攻隊忠勇隊の
護衛と特攻の戦果確認を務めた時、
ついでに、敵機に被害を与え戻って来て、
特攻戦果を報告した時、『中島正』少佐から、
「お前の役目は、
特攻隊の護衛と特攻隊の戦果確認だ。
戦果が大きすぎる。
何か勘違いしていないか?
レイテへ行って本当に体当たりをしたのか?
本当に目撃したのか?」と言われたそうです。
そのため、
『菅野直』は憤って、
拳銃を5発、床に発砲したそうです。
ちなみに、
発砲に関しては、暴発の扱いになりました。
その後、『菅野直』は、
特攻機の護衛、戦果確認を務める際は、
我々も特攻精神で行うと言いながら、
搭乗員宿舎で酒を飲んで、
日頃の憂さを晴らしていると、
司令部から「やかましい!」と苦情が来たそうです。
すると、『菅野直』は、
「明日の命も分からない搭乗員に、何を言う!」と怒鳴り、
司令部を黙らせたそうです。
ある時、
受領した零戦をフィリピンへ持ち帰る際、
間違えて別の基地に着陸しました。
すると、
そこの司令に叱責されました。
そのため、『菅野直』は、基地を去る時、
エンジンを全開にして、プロペラの風圧で、
指揮所のテントを、吹き飛ばしたそうです。
『菅野直』の飛行技術は優れていて、撃ち落とすだけではなく、
ある時は、敵機のB-24の垂直尾翼に、
自分の乗機の主翼を引っ掛けて吹き飛ばし、
撃墜させたこともあったそうです。
ちなみに、『菅野直』は、豪快な反面、
石川啄木に傾倒して短歌を好み、
文芸欄に投稿した短歌が入選した事もあり、
同級生と文学サークルを作るほどの
文学少年だったそうです。
ちなみに、
「ナポレオンが、僕の興味を沸き立たせないのは、
彼はもののあわれを知らない唯物論者であるからだ。」と、
遺品の日記に、書いてあるそうです。
知人に、
「戦争が終わって生きていたら、
大学で研究に没頭したい。
そして、静かな生活を送りたい。」と言っていたそうです。
ある時、
松山上空で、敵機を迎え撃った時、
乱戦の中で被弾したので、落下傘で脱出しましたが、
電線にひっかかったそうです。
その時、
助けを請うのもカッコ悪かったので、
黙っていると、
地元民に敵兵と間違えられ、
竹槍や鎌で、追い回されたそうです。
その時、次回同じ事があったら、
すぐに名前を名乗ろうと思ったそうです。
そして、セブ島の基地から、
九六式陸上攻撃機(中攻)に便乗して帰還する途中、
敵戦闘機の襲撃を受けたそうです。
九六式陸上攻撃機(中攻)の操縦士が観念して、
同乗していた『菅野直』に、
「もうダメだ。あきらめろ。」と告げると、
『菅野直』は、
九六式陸上攻撃機(中攻)を操縦した事は無かったのですが、
「俺がやる」と言って、
勘で、操縦桿を握って敵機を見事振り切り、
ルパング島へ不時着するという荒業を見せました。
そして、
ルパング島で原住民に遭遇すると、
「俺は日本のプリンス、菅野だ!」と名乗って、
原住民の尊敬を集め、
救援到着まで王様として過ごしたそうです。
そして、1945年8月1日、
九州に向けて北上中のB-24爆撃機編隊迎撃のため、
『菅野直』は、愛機の「343-A-15」号機ではなく、
「343-A-01」号機で、出撃しました。
そして、目的地近くで、
「ワレ、機銃筒内爆発ス。諸君の協力に感謝ス。
ワレ、菅野一番機。」と、
二番機の『堀光雄』飛曹長に、入電がありました。
『堀光雄』飛曹長が見ると、
機体の右側に大きな穴を発見しました。
『堀光雄』飛曹長は、二番機としての任務に則り、
菅野一番機の護衛に回りましたが、
『菅野直』は、敵の攻撃に向かうように、
再三指示したそうです。
しかし、『堀光雄』飛曹長は、
菅野一番機の護衛から離れないので、
『菅野直』は、怒った顔で睨みつけ、拳を突き付けて見せ、
戦闘空域に戻るように指示しました。
しかたがないので、
『堀光雄』飛曹長は、菅野一番機から離れ、
戦闘に向かいました。
すると、『菅野直』は、笑顔になりました。
そして、菅野一番機は何処かへ行きました。
『堀光雄』飛曹長は、戦闘が終わった後、
何時間も、『菅野直』の行方を探りましたが、
見つからなかったそうです。
この日の戦闘で、
菅野機を含む3機が未帰還となったそうです。 (続く)