日本を守るために命をかけて戦った人々(8)-遺書(6)わが子へ
- 2018/11/25
- 05:05
1944年、10月26日、 レイテ島東方で特攻戦死

【素子へ
素子は私の顔を能く見て笑いましたよ。
私の腕の中で眠りもしたし、
お風呂に入ったこともありました。
素子が大きくなって私のことが知りたい時は、
お前のお母さんや佳代叔母様に私のことをよくお聞きなさい。
素子という名前は私がつけたのです。
素直な、心の優しい、思いやりの深い人になるようにと思って、
考えたのです。
私はお前が大きくなって、立派なお嫁さんになって、
幸せになったのを見届けたいのですが、
決して悲しんではなりません。
お前が大きくなって、父に会いたいときは、
九段にいらっしゃい。
そして心に深く念ずれば、
必ずお父様のお顔が、
お前の心の中に浮かびますよ。
お前の伯父様、叔母様は、
お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって下さるし、
お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて、
只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。
親無し児などと思ってはなりません。
父は常に素子の身辺を護っております。
優しくて人に可愛がられる人になって下さい。
お前が大きくなって私のことを考え始めたときに、
この便りを読んで貰いなさい。
追伸、
素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、
お父さんが頂いて、
自分の飛行機にお守りにして居ります。
だから、最後まで、
素子はお父さんと一緒にいたのです。】
1967年、22歳になった『植村素子』さんは、
靖国神社に鎮まる父の御霊に、自分の成長を報告し、
拝殿で、母や家族、友人や父の戦友たちの見守る中で、
6歳の時から習い始めた日本舞踊「桜変奏曲」を舞い納め、

「お父様との約束を果たせたような気持ちで嬉しい」と語ったそうです。(続く)
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