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カメの甲羅の進化

今までは、2億1千万年前に生息していた
「プロガノケリス(Proganochelys)」が、
最古のカメとして知られていました。

カメ元最古

「プロガノケリス」は、
ヨーロッパやタイで化石が発見されていて、
完全な甲羅を持ち、
全長約1m、甲長約60cmと、カメとしては大型で、
頸椎は八個で現生種と共通で、尾の先端は骨質の鞘で覆われ、
棍棒の様になっていました。

体の構造から、食性や生活は、現在の陸ガメと同じように、
陸に住んで、草食性であったと考えられています。

だから、カメは陸上で進化したと考えられていました。

でも、新たな化石の発見で、
カメが水際で進化したという事になりそうです。

ネーチャー誌によると、中国で、
「プロガノケリス」より1千万年古い時代の

2億2千万年前のカメ
「オドントケリュス・セミテスタケア(Odontochelys)」
(甲羅が半分で歯のあるカメという意味)の化石が発見されました。



カメといえば、体全体を覆う甲羅が特徴ですが、
「オドントケリュス」は、甲羅は、体全体ではなく、

体の下の部分の「腹甲」と呼ばれる
お腹のみ甲羅があり、背中には、甲羅が無いそうです。

想像図カメ

今回の発見で、カメの甲羅の進化は、
腹側から出来て、その後、背側の甲羅が出来て、
その後、体全体を覆う甲羅となっていったと、
考えられるようになりました。

そして、お腹のみ、甲羅がある事を考えれば、
下からの攻撃を防御する必要がある環境に、
生息していたという事を示しています。

陸に生息していたなら、甲羅は上からの攻撃を、
防御する方向に進化する必要があります。

しかし、「オドントケリュス」は、
お腹に甲羅があります。

だから水に浮かんで、
下からの攻撃に備えていたと考えられます。



今回の発見で、
カメの甲羅の進化は、お腹側から出来て、
かつ水際で進化したと考える事が出来ます。

しかし、甲羅の進化に関してはほかの説もあります。

カメの甲羅は皮膚組織が骨質のヨロイとなった
「皮骨」が融合して発達したというものです。

 中国科学院・古脊椎古人類研究所のチュン・リー氏は、
「現在までのところ、皮骨説を支持する直接の証拠は
発見されていない。

逆に、今回の発掘によりカメの進化のミッシングリンクを
埋める理想的な化石が手に入った。

「オドントケリュス」には、背中に皮骨はなく、
存在したのは骨化した中枢神経系の神経板と
拡張発達した肋骨だけであった。」と語った。

しかし、トロント大学のロバート・ライス氏は

「今回の化石標本は非常に素晴らしい発見だ。
しかし、この化石には別の進化過程の解釈を
当てはめることも可能だ。

しかし、未発見のもっと古い時代のカメがいて、
今回のカメは既に甲羅が縮小変化してしまった後だ
という可能性もある。
実際、ウミガメの多くが水中の生活に移ると甲羅を縮小させている。

 これからも新たな化石が発見される見込みは十分にある。
進化の謎をめぐるパズルは徐々に埋まってきた。

しかし、依然として今回発見されたカメと
カメ以前の祖先との間には形態構造に
大きなギャップが存在している。
また、「オドントケリュス」は、ほかのカメには
見られない特徴をもう1つ備えている。

それは歯だ。

基本的に、オドントケリュス以外のカメはすべて歯ではなく
クチバシを持っている。

カメは歯のある爬虫類の祖先から進化したと考えられるので、
歯のあるカメがいることは予想していた。
しかし、まだ発見しなければならないことが残されている」と語った。
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

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