日本を守るために命をかけて戦った人々(8)-遺書(1)『武田竹司』海軍少尉と餅
- 2018/11/02
- 05:05
友人Kと大阪から与論島に行く事にしたのですが、
その時、フェリー「さんふらわあ」で、
まずは、友人Kの親戚のいる鹿児島に寄りました。
その時、時間があったので、
池田湖の巨大水棲生物のUMAのイッシーを見に行き、
そこにあった食堂で、
池田湖に生息する全長2m、体重20kgになる
オオウナギを見学し、
UMAについて、友人Kと話が盛り上がりました。
また、南九州市(旧:知覧町)にあった
特攻隊の遺品の展示も見学しました。
その時、展示品を見て、
特攻について、友人Kと深く考え、色々な話をしました。
自分から志願して死ぬ場合と、
死ぬ事を命令されている場合は、明らかに違います。
多くの人が無念にも、特攻で散りました。
本心では、誰も特攻は、したくなかったと思います。
特攻が決まり、出陣する前日まで、
日中は普通にしていても、
夜は暗闇の中、色々な雑念が出てくるのが恐くて、何も考えず、
うつろな目で、あぐらをかいて、ずっと起きていた人が、
複数目撃されています。
実際、自分がその立場になれば、
そうなると思います。
日本のために、死ぬ事が前提になっている
特攻隊員の遺書は、何度読んでも、心に来ます。
神雷桜花特別攻撃隊
『武田竹司』海軍少尉(18歳)の遺書
1945年、4月12日、南西諸島方面で特攻戦死
【父上、俺も情の特攻隊だ。明春早々だ。
正月は基地に上陸できる予定だ。
それ故、俺の一番好きなものを食べたい。
それは餅だ。
今日は特別休養上陸だ。正月には必ず上陸できる。
しかし面会は不可能。
それ故、餅を食べて、
戦友の田中と勇んで死につくのだ。
お父さんも覚悟はもはやついたと思ふ。
では正月一日迄に必ず送って下さい。
餅を食ふて 敵空母をたたきのめすぞ、
城児とな、アッハッハー
では最後にお父さんの健康と幸福の多からんことを祈ります。
皆様によろしく。
四ツ谷のおばさん、細野のお母さんにも。
征、帰らぬ男は俺だ。さようなら】
ちなみに、給糧艦「間宮」の所で書いたように、
当時、餅のような嗜好品は、貴重品でした。
特攻隊に人々には、それぞれに人生があり、
ドラマがありました。(続く)
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