日本を守るために命をかけて戦った人々(7)-補給艦「間宮」(4)
- 2018/11/01
- 05:05
もう一つ重要な任務がありました。
「間宮」は、大型の調理施設だけではなく、
無線監査艦としての任務があり、
大型の強力な通信設備が搭載されていました。
この通信設備は、
敵艦の通信を傍受するのではなく、
味方の海軍間での通信のやり取りを,
監視するためのものでした。
「間宮」では、
各艦で行われている通信をチェックし、
不適切な発言や、通信の無駄遣いの監視、
通信使の技量を調べるために通信速度を測量するなど、
通信監視艦としての重要任務を担っていました。
「間宮」の諜報活動で得た情報は、
褒章、罰則、再訓練などの重要な指標となったそうです。
その結果、賞罰の為、
いきなり呼び出される事もあったそうです。
このため、「間宮」の艦長は、
通信使としての能力が非常に優れた人が、
選ばれたそうです。
ただし、「間宮」は、無線で痛い目に合っています。
それは、
1943年10月、「間宮」が、トラック諸島に向かう途中、
台風に遭遇し、一緒に行動していた他の船と、
はぐれてしまいました。
そのため、
仲間の船が無電で集合地点を「間宮」に知らせました。
しかし、この無電がアメリカに傍受されていました。
そうとは知らず集合地点にやってきた「間宮」。
アメリカ軍の潜水艦が発射した魚雷が命中し、
沈没はまぬがれたものの航行不能となったので、
駆逐艦「潮」に助けられたそうです。
1944年12月、「間宮」は、
ベトナムのサイゴン(現ホーチミン)からフィリピンのマニラへ、
食糧を届ける命令を受けました。
しかし、
グアム、サイパン、フィリピンのレイテ島もアメリカ軍に占領され、
制海権も制空権も失っていたので
船足が遅く、ろくな武器も持たない「間宮」が行く事は、
かなり危険でした。
そして、案の定、
1944年12月20日、午後8時46分、
「間宮」は、南シナ海で、アメリカ潜水艦「シーライオンⅡ」に発見され、
4つの魚雷が命中し、航行不能となりましたが、
2時間以上浮いていたそうです。
そのため、
「シーライオンⅡ」は、再び魚雷を発射し、
2本が命中し、「間宮」は沈没したそうです。
海に投げ出された約280人の乗組員は、
12月の凍てつく海に体温が奪われ、
多くがそのまま海の中へ沈んでいき、
生還できたのは6人だったそうです。
ちなみに、
「間宮」の姉妹艦「伊良湖」は、
1944年9月24日、フィリピンのコロン島で、
アメリカ機動部隊の艦載機の攻撃を受け、
大破し放棄されました。
ちなみに、
フィリピンのコロン島周辺は、「伊良湖」以外にも、
戦時中、アメリカ軍により沈められた、
「秋津洲」、「興川丸」、「興業丸」、
「おりんぴあ丸」、「越海丸」などの沈没船が沢山あり、
レックダイビングで、人気だそうです。
ちなみに、
レック(wreck)とは、英語で難破船を意味しますが、
海中に沈んだ船は、漁礁となるので、魚が多く集まり、
また、歴史を感じることも出来、
そこを潜るダイビングを、レックダイビングと言い、
人気だそうです。
ダイビングライセンスのCカードを持っているので、
沖縄や男鹿でダイビングをした事はありますが、
レックダイビングは、した事が無いというか、
最近は、時間が無くて、ダイビング自体していません。(続く)
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