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日本を守るために命をかけて戦った人々(7)-補給艦「間宮」(3)

日本海軍の給糧艦「間宮」は、
炭酸ガス、水、シロップを加えれば、
簡単に製造出来るラムネを製造する機械が導入されました。

そして、次に、饅頭などを作る機械一式が導入され、
羊羹など餡子を使った和菓子が製造可能となり、

1931年より、パンなどの一般的な食料だけではなく、
ラムネ、饅頭、モナカ、ようかん、アイスクリーム、
ケーキ、タピオカプリンなどが生産されるようになったそうです。

そして、「間宮」が停泊中には、
海軍兵学校同窓会などの会場として、
すき焼きパーティなどが開催されたそうです。

そして、「間宮」は、海軍の誰もが知る夢のような、
本格的な洋上のお菓子工場となりました。

1941年より基地化したトラック諸島は、
第二次世界大戦当時、
日本海軍の一大拠点で、連合艦隊の艦艇が集結し、
約2万の将兵が暮らしていました。

「間宮」は、製造時には最新型でしたが、
第二次世界大戦当時、製造から10年以上経過して、
すでに海軍の中では旧式艦ともいえる存在となっていました。

当時、
石油でエンジンを動かす船が主流だった中、
「間宮」は石炭を使っていたので、14ノット(時速約25km)でゆっくりと、
10日ほどかけてトラック諸島へ、補給のために向かいました。

海軍では、「間宮」以外の給糧艦を要望し、
1941年、「伊良湖」が完成し、「間宮」と共に、
活躍したそうです。

「伊良湖」は、当初、速力20ノット、
2万5千人の20日分の給糧艦が目標でしたが、

予算、日程等の関係で、
速力17ノット(時速約33km)、
2万5千人の約2週間分の給糧艦になったそうです。

ちなみに、戦艦「大和」は、27ノット(時速約50km)でした。

そして、「間宮」、「伊良湖」が来ると聞くと、
多くの兵たちが、歓喜に沸いたそうです。

そして、
「間宮」、「伊良湖」がトラック諸島に来たと分かると、
停泊している船の食糧調達係が、
われ先にと小船で押し寄せました。

特に、甘くておいしい「間宮」の羊羹は大人気で、
数に限りがあるため、争奪戦となったそうです。

ちなみに、
「間宮」の羊羹は、
羊羹の有名老舗「とらや」をライバル視し、
「とらやの羊羹より、
美味しくて、大きく作る事!」を目標にしていたので、

当時の「間宮羊羹」は、

なんと、2kg以上の物もあったそうです。



そのサイズの羊羹を、
1日に2千本以上製造できたそうです。

当時の「海軍主計兵調理術教科書」に、
レシピが載っていて、

現在、「間宮羊羹」を再現して、

2kgは販売されていませんが、



1kg以下の物が販売されています。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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