日本を守るために命をかけて戦った人々(7)-補給艦「間宮」(2)
- 2018/10/27
- 05:05
全長145メートル、排水量1万5820トンの
日本海軍初の給糧艦「間宮」が、竣工されました。

当初は、
巨大な冷蔵庫で新鮮な食料品を運ぶ事が、
主な任務でした。
そのため、巨大な冷蔵庫、冷凍庫設備があり、
肉、魚、生野菜など、1万8千人の3週間分の食料が、
貯蔵出来たそうです。
その上、艦内で豆腐や納豆、こんにゃく、
油揚げ、麩やパンなどの加工食品を、
製造する施設もあったそうです。
また、
寄港先現地で、牛や馬を生きたまま積み込み、
後日、必要な時に食肉加工する事も可能出来るように、
屠殺製肉設備もあったそうです。
部屋ごとに分かれたキッチンが多数あり、
待遇は良かったので、老舗や親方についていた
腕の確かな職人たちが集まっていたそうです。
通常、
他艦艇においては航海中は、
入浴、洗濯とも数日に1回、
さらに風呂の湯は海水を用いるなど、
真水の節約に努めていましたが、
給糧艦「間宮」は、
大量の食料を扱うことから、
衛生面の観点から、特別な配慮がされていて、
風呂でも洗濯でも、自由に真水を使う事が出来ました。
「間宮」が入港すると新鮮な食料が各艦に補給されるため、
帝国海軍の中では、最も有名な艦だったそうです。
資源の少ない日本が、
諸外国との戦争を始めたので、
経済を引き締める必要性が生じました。
そして、
全ての生産、流通、消費などの経済活動は、
軍が優先されるようになりました。
その上、
第二次世界大戦のミッドウェー海戦で、
日本が大敗し、制海権を失った事により、
アメリカ海軍の攻撃により、輸送船などが被害を受け、
菓子の主原料である砂糖、小麦などの物資が不足し、
乳幼児用を除く家庭用の砂糖の配給が止まりました。
さらに、
多くの製菓業者が、
菓子を作る道具を軍需用に供出させられ、
菓子生産が不可能となりました。
そのため、
一般庶民は、お菓子などの嗜好品が食べられなくなりました。
当時、日本海軍が模範としていたイギリス海軍で、
紅茶とチョコレートで、
リフレッシュして将兵のやる気を引き出す
ティータイムの習慣が大切にされていました。
日本海軍上層部は、脚気の件で、
伝統的に食の大切さを知っていたので、
兵士の健康を維持し、士気を高めるには、
日々の食事だけでなく、
甘い嗜好品も元気を鼓舞するためという事で、
一般所庶民には、嗜好品の制限があっても、
軍人には、優先的に、高品質な食事や嗜好品(菓子)が、
提供されたそうです。
そして、日本海軍の給糧艦「間宮」には、
嗜好品を作るための設備が、次々と導入されました。(続く)
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