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日本を守るために命をかけて戦った人々(7)-補給艦「間宮」(1)

日本軍は、元々、兵部省で一体でしたが、
1870年に陸海軍が分離され、
1872年に陸軍省、海軍省が設置されました。

分離の原因は、薩摩と長州の藩閥争いだったそうです。

陸軍は、長州の『大村益次郎』が基礎を築き、
その後は、長州の『山県有朋』が引き継ぎました。

フランス、ドイツ陸軍を参考に、軍備を拡充しました。

海軍は、薩摩藩の『川村純義』と『勝海舟』が基礎を築き、
その後、薩摩藩の『西郷従道』、
薩摩藩の『山本権兵衛』らが海軍増強を主張し、

イギリス海軍を参考に、軍備を拡充しました。

現在の日本の行政と同じく縦割りの社会のため、
旧帝国日本軍の陸軍と海軍の連絡が密ではなく、
官僚的な縄張り争いから、
お互いをライバル視したので関係が悪く、
しばしば対立したそうです。

ちなみに、陸海軍の予算は均等でしたが、
人員は海軍の方が、はるかに少なかったので、
海軍では伝統的に、官給の衣食が富裕だったそうです。

だから、ある時、陸軍将校が、軍艦で食事した時、
「海軍の奴らは、いつもこんな食事をしてるのか!
陸軍の前線では、木の根を食べているのに!
ホテルか?贅沢すぎる!」と言ったそうです。

旧帝国日本軍の陸軍と海軍の関係が悪かったので、
多くの人が影響を受けました。

1904年の日露戦争の時、
陸軍の軍医総監を務めていたのは、

東京帝国大学出身のエリート軍医で、
長州藩の隣の津和野藩の医師の家系で、
小説家で有名な『森林太郎(森鴎外)』でした。

脚気は、ビタミンB1の不足により、
心不全と末梢神経障害をきたし、悪化すると死亡します。

明治時代、
旧帝国日本軍の病死数で、最大の死因は脚気で、
一般人に比べ、軍人の方が罹患率が高かったそうです。

何故なら、当時、一般人の主食は、
玄米・麦飯等だったのですが、

戦うために、白米食が良いと考えられていて、
軍の特権として白米が提供されていたため、
軍人には、ビタミンB1が不足していました。

1883年、南米に練習航海に出た
軍艦「龍驤」の乗組員376人のうち、
169人の重症脚気患者を出し、
そのうち25人が死亡という痛ましい惨事が起きました。

帰途、ホノルル港で野菜や肉を調達して提供すると、
患者はなんと全員回復したので、

東京慈恵会医科大学の創設者で、
元薩摩藩の海軍軍医『高木兼寛』は、
脚気は、栄養バランスが悪い食事が、
原因だと考えました。

イギリスでは、昔からシチューが、
定番料理の1つとして親しまれていました。

しかし、長期間の航海時には、
シチューで使用する牛乳が、日持ちしないので、
シチューが食べられませんでした。

当時、イギリスは、インドを統治していたので、
カレーがイギリスに知られるようになり、

航海中に、シチューで使用する牛乳の代わりに、
保存の効く香辛料を入れ考案されたのが、
イギリス式カレーです。

ちなみに、
インドの伝統的な煮込み料理を、
カレーと言うと思う人がいますが、

インドでは、全ての煮込み料理は、
サーグ、サンバール、コルマ、ダールなど、
それぞれに固有の名称があり、

そもそも、
インドには、カレーという料理も
カレーという言葉すらないそうです。

野菜、肉、汁などを意味する「kari」や
香り高いものという意味の「Turcarr」という言葉があり、
それが英語で「curry」と表記されるようになったと言われています。

イギリス海軍は、カレーを軍隊食に採用したそうです。

カレーは、
当時、日本海軍が模範としていたイギリス海軍より、
イギリス料理として、紹介されました。

脚気は、栄養バランスが悪い食事が原因と考えた
海軍軍医『高木兼寛』は、

糧食の改善を試みるため、
調理が手軽で肉と野菜の両方がとれる
バランスのよい食事として、
イギリス海軍で提供されていたカレーライスに、
麦と米を半分ずつ混ぜた麦飯を使い、

軍艦「筑波」などによる航海実験を行ったところ、

麦を混ぜたおかげで期せずして、ビタミンB1の不足も補え、

世界中で脚気に苦慮していたのに、

1885年には、
海軍の脚気の罹患者数は41人、死亡者数0人となり、
海軍は、脚気解消に有益な世界初の疫学的成果を得ました。

そのため、
「海軍カレー」が普及したそうです。

現在も海上自衛隊では、長い海上勤務中に、
曜日感覚をなくさないようにするため、

毎週金曜日は、
カレーライスを食べる習慣になっているそうです。

1905年、『高木兼寛』は、
海軍における脚気撲滅の功績が認められて、
男爵位を獲得し、「麦飯男爵」と呼ばれるようになったそうです。

ちなみに、
当時の陸軍では、

英語が敵性語と見なされ、

カレーは、「辛味入汁掛飯」と呼ばれていたそうです。

しかし、
当時の海軍では、

普通に「カレー」と呼ばれていたそうです。

ちなみに、『森鴎外』は、ライバル視から、
栄養が原因と言った海軍軍医『高木兼寛』を猛烈に批判し、
脚気は、細菌が原因と言って、
陸軍への麦飯導入を拒み続けたそうです。

結果、陸軍は日露戦争において、
約25万人の脚気患者が発生し、約2万7千人が、
死亡する事態となりましたが、
『森鴎外』は、間違いを認めなかったそうです。

ちなみに、
嗜好品という言葉を最初に使ったのは、
1912年発表の『森鴎外』の短編小説「藤棚」だそうです。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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