日本を守るために命をかけて戦った人々(5)-最後の特攻『宇垣纏』海軍中将
- 2018/10/12
- 05:05
プライドが高いと言われている
第五航空艦隊司令官『宇垣纏』海軍中将です。
以前、
第五航空艦隊司令官『宇垣纏』海軍中将が、
特攻隊を見送っていた時、
特攻隊員から、
「本日の攻撃において、
爆弾を百%命中させる自信があります。
命中させた場合、
生還しても、よろしいですか?」と聞かれた時、
第五航空艦隊司令官『宇垣纏』海軍中将は、
「まかりならぬ。」と即座に大声で答えたそうです。
そして、
敗戦が明らかになった1945年8月15日、
『宇垣纏』海軍中将は、
沢山の特攻を出した責任者だから、
生きて戦後は迎える事は出来ないと考え、
「まだ停戦命令を受けていない。
多数殉忠の将士の跡を追い、
特攻の精神に生きんとするに於て考慮の余地なし。」
と言って、特攻に出ようとした時、
参謀長『横井俊之』から、
「死ににいく気持ちは理解できるが、
戦後処理や、国家的な責任の問題もあるため、
特攻を止める事は、出来ないか?」と注意を受けましたが、
『宇垣纏』海軍中将は、
「武人としての死に場所を。」と言ったそうです。

特攻機「彗星43型」で特攻に出る直前の
満足した笑みの『宇垣纏』海軍中将
そして、
有志の部下たちと11機(23人)で、
特攻に出たそうです。
そのうち、3機は故障のため途中不時着しましたが、
残る8機が、沖縄に進攻した敵機動艦隊に向かって、
「敵空母見ユ」、「ワレ必中突入ス」を最後に、
連絡は途絶えたそうです。
この時の特攻による死者は、
『宇垣纏』海軍中将を含め18人だそうです。
ちなみに、敵艦隊には、被害は無かったそうです。
これを知った『小沢治三郎』連合艦隊司令長官は、
「陛下の終戦の大命をなんと心得るか!
私情で部下を道連れにするなどは、
もってのほか。
死ぬのなら一人で死ね!」と激怒したそうです。(続く)
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