FC2ブログ

記事一覧

日本を守るために命をかけて戦った人々(4)-9回特攻した『佐々木友次』伍長(2)

1回目の特攻に出た『佐々木友次』伍長は、

レイテ湾を飛行中に敵艦を発見し、
高度5千mから急降下し、
高度800mから敵艦めがけて爆弾を投下しましたが、
爆弾は、少しズレて海面に落ち、
少しだけ損傷を与えました。

じっとしていると、撃ち落される危険性があるので、
すぐに現場を離れました。

すると、豪雨に見舞われたので、
以前、『岩本益臣』大尉に教えてもらっていた
「緊急避難地」のミンダナオ島の田んぼに、
着陸したそうです。

『佐々木友次』伍長が、
しばらく、基地に戻れなかったので、

その間に、
軍上層部は、「万朶隊」の戦果を、

『佐々木友次』伍長が、戦艦1隻撃沈、
『田中逸夫』曹長が輸送船1隻を撃沈と、
誇張して発表しました。

ちなみに、
操縦の腕が、周囲が認める程、
『佐々木友次』伍長が、
特別優秀だったから、
戦艦を撃沈と発表したそうです。

でも、実は、
揚陸舟艇修理艦「エジャリア」と
「アキリーズ」に少し損傷を与えただけでした。

そして、
マスコミは、大々的に報道し、

『佐々木友次』伍長は、
戦艦を沈めて殉職した「軍神」として、
祭り上げられ、

天皇陛下にまで上聞(報告)されていました。

その後、
ようやく『佐々木友次』伍長が、生きて基地に戻った時、
万朶隊の属する第四飛行師団参謀長『猿渡篤孝』大佐ら上官達は、

「どういうつもりで帰ってきたのか。
死ぬのが怖くなったのか!次は絶対に帰ってくるな!

今度は爆弾ではなく、体当たりで船を沈めろ!
とにかく船なら、何でもいいから沈めろ!」と怒鳴ったそうです。

このように、
おだてられて出撃した特攻隊員は、
生き延びて戻ってくると、
死にぞこないとか卑怯者となじられ、
次は必ず死んで来いと、
邪険に扱われるのが普通でした。

2回目の出撃では、
天候が悪く、帰還したそうです。

しかし、
2回目の特攻失敗を隠す事は出来ず、

やむなく、『佐々木友次』伍長の生還を、
公表しました。

3回目の出撃は、
『佐々木友次』伍長と『奥原英彦』伍長の、
2機だけの出撃命令でした。

参謀長『猿渡篤孝』は、

「今日こそは、必ず体当たりしてこい!
絶対に、帰って来るな!」と怒鳴りました。

『佐々木友次』伍長は、
真っ昼間なので、敵機に見つかりやすく、
最近、空襲が多いので、
危険だと思っていましたが、

操縦席でエンジンを回そうとした瞬間、

案の定、
米艦載機が爆弾を投下してきたので、
飛び立てず、

機体の外に飛び出たそうです。

ちなみに、
3m程離れた場にいた『奥原英彦』伍長は、
爆弾で、戦死したそうです。

4回目の特攻は、
『佐々木友次』伍長の1機だけと、
護衛機のみで行う事になりました。

参謀長『猿渡篤孝』から、

「今度は、必ず体当たりしろ!」と命じられた『佐々木友次』伍長は、

「私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。

その代わり死ぬまで何度でも行って、
爆弾を命中させます。」と言ったそうです。

しかし、参謀長『猿渡篤孝』は、
天皇にまで上聞した以上、生きていては困る。
特攻で死ねば、結果として嘘をついたことにならない。と考え、

「軍には責任というものがある。
今度は必ず死んでもらう。
大きなやつを沈めてくれ。」と言ったそうです。

そして、出撃したのですが、
護衛機の隊長が「わざわざ殺すことはない。」と同情し、
途中で引き返しを決めたので、特攻を免れたそうです。

護衛機の隊長は、
参謀長『猿渡篤孝』には、

「天候が悪く、敵艦隊が見つからず、
引き戻した。」と報告したそうです。

5回目は出撃直後、敵艦隊に近づく前に、
敵機が来たので、振り切って
バコロド飛行場に不時着したそうです。(続く)
関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント

ランキング

詳しくは分かりませんが、下のマークを、

ランキング

クリックすると、点が入るらしい

ジャンルランキング

カテゴリ

鳥 (2)
魚 (5)

プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

検索フォーム

月別アーカイブ