糞尿の話(12)-餓鬼(2)
- 2018/07/28
- 05:05
『お釈迦さま』の身の回りの世話を、
25年間していたので、
一番多くの教えを聞き、覚えていたので、
『多聞第一』と呼ばれていたそうです。
ちなみに、
『お釈迦さま』の教えが書いてある経典の冒頭に、
よく出てくる「如是我聞」の意味は、
「私は、『お釈迦さま』から、聞いた。」という意味ですが、
この「私」は、ほとんどが、『阿難尊者』の事だそうです。
ある時、『お釈迦さま』の育ての親である
養母『摩訶波闍波提』が、出家したいと言った時、
『お釈迦さま』は、
女性の出家を、認めていなかったので、
育ての親ではありましたが、断りました。
『阿難尊者』は、イケメンだったので、
女性にもてまくったので、
女性の気持ちがよく分かったそうです。
そのため、『阿難尊者』は、女性の気持ちを代弁し、
『お釈迦さま』を、何度も説得したので、
最後には、女性の出家を認めるようになったそうです。
ある深夜、
『阿難尊者』が、1人で瞑想している時、
ガリガリに痩せて、口から火を吐きながら、
『焔口』という餓鬼が出てきました。
そして、『阿難尊者』の前に座り、
静かに口を開き、
「今までの罪により、お前の寿命は、あと3日だ。
死んだ後は、餓鬼道に落ち、
俺と同じ様な餓鬼となり、苦しむ事になるだろう。」
と言うと、静かに消えました。
『阿難尊者』は、
「自分はどのような罪を犯したのでしょうか?
どうしたら、その苦をのがれる事が出来るのでしょうか?」と、
『お釈迦さま』に尋ねたところ、
「生きていく上で避けてとおれない「食欲」で、
人間らしく生きていく道を教えてくれるのが、餓鬼道です。
以前、お前は、食事をした時、
ただ単に、美味しい食べ事に感謝していると言った。
しかし、
それではどこまでいっても物欲に支配され、
自分で自分を縛る事になる。
だから、お前の中にある物欲に支配された心を洗い、
清らかにしていく必要がある。
他人の腹具合を考え、ものを分かち合う時に、
初めて自分に縛られない、
もっと大きな安らぎがあることに、
気がつくでしょう。
仏、法、僧の三宝を敬い、
行動(身)とことば(口)と心(意)で、
供物を捧げなさい。
その方法は、無数の餓鬼たちに、
仏教において用いられる呪文の一種「陀羅尼」を、
唱えながら、食物をほどこして供養しなさい。
すると、
僅かな一食でも、
たちまちにたくさんのおいしい食べ物になり、
無数の餓鬼を満足させることが出来、
餓鬼も救われ、その功徳によって、
お前も救われ、天上に生まれることが、
出来るだろう。
他の人に、ものを分け与えること、
回りの人々の役にたって初めて、
天に感謝出来るのです。」と答えたそうです。
そして、『阿難尊者』は、
餓鬼だけでなく、先祖代々や
無縁の諸精霊に至るまで全て供養し、
また同時に人間全体の福徳延寿を祈願した結果、
餓鬼道に落ちないで、
120歳まで生きたそうです。
この後、『阿難尊者』が行った方法を参考にして、
餓鬼道で苦しむ衆生に、食事を施して供養する
「施餓鬼会」が始まったそうです。(続く)
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