糞尿の話(9)-便所(3)
- 2018/07/25
- 05:05
「くみ取り式便所」が登場しました。
鎌倉時代、糞尿が、堆肥として利用が始まり、
くみ取り式のトイレが普及して、
糞尿の臭いが町から少なくなりました。
中国、台湾、朝鮮、モンゴル、日本などの東アジアで、
人糞を肥料として用いたことが確認される最初の例は、
鎌倉時代の日本だそうです。
江戸時代になると、人糞を肥料として、
効率的に利用していたので、
街は臭くありませんでした。
人糞を肥料として用いるのは、
世界的に見ると一般的なものではなく、
多くの国・民族において、
人糞を人間の食料を生産する畑に投下することは、
忌避されてきました。
ちなみに、
インダス文明の遺跡モヘンジョ・ダロは、


腰掛け式トイレと整備された下水道があり、
一度集められた糞尿は沈殿槽に集められ、

微生物により自然処理されたのち、
上の液体だけを流すようなシステムとなっていました。
そして、沈殿物は有機農法に使用されていたそうです。
古代エジプト王国の王『アメンホテプ4世』は、
「外で排便排尿をするのではなく、
トイレを屋内に作る事。」という法を施行しました。
そのため、そこで住民は、壺の中に排泄物を貯め、
肥料として使用していたそうです。
それらの事を、中世ヨーロッパでは、
糞便臭に関して無関心だったのか?
糞便処理法を継承しなかったので、
街が臭かったのでした。
しかし、江戸では、
肥料にする為に人糞が利用されていたので、
街は、臭くありませんでした。
ちなみに、江戸では、
人糞は、売買されていましたが、
その人糞を出す階層により、その価値が違い、
栄養状態のよい階層の人糞は高価で、
最上級は、江戸城から出された人糞だったそうです。
そして、江戸城から出る人糞は、
葛西村(現在の東京都江戸川区)が、
独占していたそうです。
ちなみに、
最下級は、罪人の人糞だそうです。
長屋に併設された共同便所の人糞は、
長屋の主が、売っていましたが、
年間百万円ほど儲かったそうです。
そして、
日本では、第二次世界大戦まで、
人糞は、肥料として使われていましたが、
第二次大戦後、『ダグラス・マッカーサー』は、
日本のサラダに人糞の細菌と寄生虫が多数混入していたため、
日本政府に、人糞肥料の中止を命じたそうです。
しかし、その後も、人糞肥料は使われていたそうです。
ちなみに、
人糞は、そのまま使うと作物が根腐れするため、
肥料として用いる時は、
肥溜めで、発酵させてから、利用するそうです。
ちなみに、
肥溜めにある発酵中の人糞は、ものすごく、臭いそうです。(続く)