糞尿の話(1)
- 2018/07/15
- 05:05
長い長い長袴をはいていますが、

排尿する度に脱ぐのは、
大変だと思うでしょうが、
実は、竹や銅で作られた長さ1m位の
筒状の「尿筒」、「装束筒」を、長袴の裾に差し込み、
そこに放尿したそうです。
ちなみに、
江戸時代には、
朝夕に公務を果たす人という事が由来の
「公人朝夕人」という役職の人が、
将軍など高貴な人が、
公的行事の時に着る
第一礼装の「束帯」を着ている時に、
排尿する際、
「尿筒」を支えたそうです。

「束帯」姿の秋田の出羽久保田藩最後の藩主『佐竹義堯』
ちなみに、
『佐竹義堯』の喘息を治すために、
代々、久保田藩(秋田藩)の御典医をしていた
藤井家の『藤井正亭治』が、
先祖『藤井玄淵』が考案し、代々藤井家に伝わって来た秘薬を、
改良したのが、あの有名なのど飴『龍角散』です。
排尿時は、一番無防備なので、
「尿筒」を支えるのは、
信頼できる人材が必要という事で、
将軍の「公人朝夕人」は、
世襲制で、代々『土田孫左衛門』を名乗り、
鎌倉幕府4代将軍の『藤原頼経』が、
京都から、鎌倉に下向する時から始まり、
その後、当時の権力者である、
室町幕府の足利家、『織田信長』、
『豊臣秀吉』、『徳川家康』に仕えていたそうです。
その後、江戸時代も、「公人朝夕人」は、
服の構造も熟知しなければいけないし、
また、「尿筒」の角度などが難しく、
支えている間、震えてもいけないし、特殊技能が必要でした。
そのため、「公人朝夕人」は、
秘伝の技術を伝授された『土田孫左衛門』がなり、
その後も、代々ずっと、徳川家に仕えたそうです。
ちなみに、『土田孫左衛門』は、
小刀一本を持つ事が許され、
苗字を公式に名乗る事が出来ましたが、
身分は武士ではなく、
「中間(武家の奉公人)」だったそうです。
同じ様に、当主が同じ名前を名乗り、
江戸時代から明治まで続いた
特殊技能がいる世襲制の職業と言えば、
首きり役人の山田浅右衛門が有名です。
死の穢れを伴う役目だったので、
幕府の役目ではありましたが、
身分は、旗本や御家人ではなく、
浪人として取り扱われていたそうです。
機会があれば、後日詳しく…(続く)
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