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糞尿の話(1)

『遠山の金さん』の時代劇を見ていると、
長い長い長袴をはいていますが、



排尿する度に脱ぐのは、
大変だと思うでしょうが、

実は、竹や銅で作られた長さ1m位の
筒状の「尿筒」、「装束筒」を、長袴の裾に差し込み、
そこに放尿したそうです。

ちなみに、
江戸時代には、
朝夕に公務を果たす人という事が由来の
「公人朝夕人」という役職の人が、

将軍など高貴な人が、
公的行事の時に着る

第一礼装の「束帯」を着ている時に、
排尿する際、

「尿筒」を支えたそうです。

佐竹義堯公
「束帯」姿の秋田の出羽久保田藩最後の藩主『佐竹義堯』

ちなみに、
『佐竹義堯』の喘息を治すために、
代々、久保田藩(秋田藩)の御典医をしていた
藤井家の『藤井正亭治』が、
先祖『藤井玄淵』が考案し、代々藤井家に伝わって来た秘薬を、
改良したのが、あの有名なのど飴『龍角散』です。

排尿時は、一番無防備なので、

「尿筒」を支えるのは、
信頼できる人材が必要という事で、

将軍の「公人朝夕人」は、
世襲制で、代々『土田孫左衛門』を名乗り、

鎌倉幕府4代将軍の『藤原頼経』が、
京都から、鎌倉に下向する時から始まり、

その後、当時の権力者である、
室町幕府の足利家、『織田信長』、
『豊臣秀吉』、『徳川家康』に仕えていたそうです。

その後、江戸時代も、「公人朝夕人」は、
服の構造も熟知しなければいけないし、
また、「尿筒」の角度などが難しく、
支えている間、震えてもいけないし、特殊技能が必要でした。

そのため、「公人朝夕人」は、
秘伝の技術を伝授された『土田孫左衛門』がなり、
その後も、代々ずっと、徳川家に仕えたそうです。

ちなみに、『土田孫左衛門』は、
小刀一本を持つ事が許され、
苗字を公式に名乗る事が出来ましたが、
身分は武士ではなく、
「中間(武家の奉公人)」だったそうです。

同じ様に、当主が同じ名前を名乗り、
江戸時代から明治まで続いた
特殊技能がいる世襲制の職業と言えば、
首きり役人の山田浅右衛門が有名です。

死の穢れを伴う役目だったので、
幕府の役目ではありましたが、
身分は、旗本や御家人ではなく、
浪人として取り扱われていたそうです。

機会があれば、後日詳しく…(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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