fc2ブログ

記事一覧

時代劇の大スター『鬼平』と『遠山の金さん』(5)

『遠山の金さん』こと、
『遠山金四郎景元』は、
1793年生まれの実在の人物です。

『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』の

父『遠山金四郎景晋』は、
『永井筑前守直令』の四男で、
幕府の「昌平坂学問所」を、トップで卒業した秀才でした。

でも、永井家の四男なので、
永井家の家督を継げないので、
後継ぎのいなかった
名家の『遠山景好』の養子になりました。

しかし、養子入りし、家督嫁いだ後、
養父『遠山景好』に実子『遠山景善』が生まれたので、
養父『遠山景好』から、実子『遠山景善』を、
後継ぎにしたいと言われたので、

『遠山金四郎景晋』は、
後を継がせるため、『遠山景善』を養子にしました。

でも、『遠山金四郎景晋』は、
実子『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』がいたので、

その後を継がせたいと考え、

ややこしいのですが、
実子『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』を、
養子『遠山景善』の養子にしたそうです。

複雑な家庭環境から、
『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』は、グレて家出して、

『鬼平』と同じく放蕩生活を、
長年(10年位)送った後、
反省し、真面目に仕事をしたそうです。

『遠山金四郎景晋』は、
実子『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』の行く末が心配で、
健康に注意して長生きを心がけ、

78歳まで、幕府の要職をしていたそうです。

そして、養子『遠山景善』が、病没したので、
実子『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』は、
晴れて実父『遠山金四郎景晋』の家督を相続し、
幕府へ召し出されたそうです。
その後は、順調に出世し、
1840年、北町奉行になったそうです。

当時は、老中『水野忠邦』が、権力を握っていました。

『水野忠邦』は、
町人が贅沢するのが許せなかったので、
町人達の贅沢やお洒落を禁止する方針を示しましたが、

『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』は、
町人は贅沢やお洒落は禁止なのに、
武士には適用されていない事を指摘して、
町人への禁令を和らげるよう求めましたが、

『水野忠邦』は、これを認めなかったので、

仕方なく、『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』は、
贅沢取り締まり令を出しました。

また、『水野忠邦』は、
寄席や芝居、露店商の全面禁止を実行しようとしましたが、
『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』は、
芸人の失業や町人の娯楽を奪うとして、強く反対しました。

その結果、
寄席や興行は、一部禁止にはなりましたが、
寄席や興行の全面禁止は、阻止出来ました。

『遠山の金さん(遠山金四郎景元)(通之進)』は、
芝居小屋を廃止しようとした『水野忠邦』に反対し、
浅草猿若町への小屋移転だけに留めたので、

感謝した関係者が、
『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』に感謝し、
『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』を、
主人公とした劇をつくり、
ご存じ『遠山の金さん』が、
上演されるようになったそうです。

ちなみに、
『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』は、痔だったので、
颯爽と、馬には乗れなかったそうです。

もう一つ、ついでに言うと、江戸幕府が編修した
大名や旗本の家譜集「寛政重修諸家譜」によると、
実は、
『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』は、『金さん』ではなく、
幼名『通之進(通さん)』と呼ばれていたそうです。

ただし、通称は、『金四郎』だったそうです。
ちなみに、
『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』の父『遠山金四郎景晋』は、
永井家の四男なので、『金四郎』と名付けられましたが、
実子『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』は、
四男ではありませんが、父の『金四郎』から名をもらい、
通称を『金四郎』としたそうです。

そして、
遠山家の当主は、
代々『遠山金四郎』という通称を受け継いだそうです。

『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』は、
『水野忠邦』と対立したので、左遷もありましたが、
最終的には、『水野忠邦』が失脚した後、
南町奉行として、返り咲き、
名奉行として名を馳せました。

ちなみに、
北と南の両方の町奉行を務めたのは、
極めて異例だそうです。

『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』は、
放蕩生活で得た情報を参考にした裁判が、
的を得て、上手いと名声が高かったので、
将軍『徳川家慶』が、
名声を確かめるべく視察したそうです。

そして、
『遠山の金さん(遠山金四郎景元)』の名裁判ぶりを激賞し、
奉行の模範とまで讃えたそうです。

そして、
1852年に隠居して、
家督を嫡男の『遠山景纂(遠山金四郎)』に譲った後、
1855年、死去したそうです。(続く)
関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント

ジャンルランキング

ランキング

クリックすると、点が入るらしい

ランキング

最新記事 

カテゴリ

鳥 (4)
魚 (5)

プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

検索フォーム

月別アーカイブ