時代劇の大スター『鬼平』と『遠山の金さん』(1)
- 2018/07/08
- 05:05
『長谷川平蔵宣以(銕三郎)(銕次郎)』は、
1745年に東京で生まれた実在の人物です。
『鬼平(長谷川平蔵宣以)』の
父『長谷川平蔵宣雄』は、優秀な人物で、
江戸で、「火付盗賊改」をしていました。
1772年、
死者約1万4千人と言われている、
江戸三大大火の1つ「明和の大火」と呼ばれる
大火事が起きました。
そして、父『長谷川平蔵宣雄』は、
その犯人『無頼漢長五郎(真秀)』を捕縛しました。
『無頼漢長五郎(真秀)』は、昔から問題がある人物でした。
14歳の時、奉公先の主人に叱られた腹いせに、
屋敷に火を付け盗みを働き、
親から勘当されると金子を盗んで逐電し、
大円寺の修行僧として住み込んだ時には、
お布施をちょろまかしていたので、
大円寺の和尚に破門されました。
しかし、その事を逆恨みし、
36歳の時に、大円寺への放火したそうです。
そして、父『長谷川平蔵宣雄』は、大捜索の結果、
放火した『無頼漢長五郎(真秀)』を捕縛しました。
火災の後、物価は高騰し、
庶民生活に大きな打撃を与えたそうです。
その後、父『長谷川平蔵宣雄』は、
京都に栄転し、「京都西町奉行」をしていましたが、
1773年に、55歳で急死しました。
『鬼平(長谷川平蔵宣以)』は、
厳格だった父がいなくなった事により、
タガが外れて、
遊女やその情夫、無法者と交わり、
ゆすり、詐欺や賭博をしたりして、
裏社会の隅々まで知りつくし、
「鬼平犯科帳」にも、書いてありますが、
本所(東京都墨田区)に住んでいたので、
『本所の銕』と呼ばれて、恐れられたそうです。
そして父が、ためていた大金も、
遊郭や賭博で、使い果たしてしまいました。
しかし、家族が悲しみ、
このままではいけないと考え直し、
悪友と関係を持ちつつ距離を置いて、
真面目になる事を決意したそうです。
そして、『鬼平(長谷川平蔵宣以)』は、
京都にいる父の部下の与力や同心たちに、
「皆さんがんばってください。
私は江戸で、
英傑といわれるようになってみせます。」と豪語したので、
周囲の人々は、失笑したそうです。
しかし、江戸に戻り、
30歳で長谷川家の家督を継いだ後は、
ものすごく真面目に仕事に精を出し、
42歳の時に、「火付盗賊改」の長官になり、
東京都墨田区菊川にある、
自分の屋敷を役宅としたそうです。
『鬼平(長谷川平蔵宣以)』が、
順調に出世したのは、優秀だったからですが、
それ以上に、
超優秀な父『長谷川平蔵宣雄』が、
時の権力者老中『田沼意次』に気に入られたので、
その関係もあると言われています。
また、ある時、
老中『田沼意次』の屋敷近くで火事が起きた時、
『鬼平(長谷川平蔵宣以)』は、仕事を休んで、
田沼家に駆けつけて、家人に避難を勧めて、
避難が終わった頃、餅菓子が届くようにし、
夕刻には田沼邸に食事を届けたりしたので、
益々、老中『田沼意次』に気に入られれました。
その後、『鬼平(長谷川平蔵宣以)』は、
1795年、50歳の時に病気のため、
御役御免を申し出て、認められた後、
3ヵ月後に亡くなるまで、
「火付盗賊改」を続けていたので、
約8年間火付盗賊改だったそうです。
ちなみに、「火付盗賊改」は、
現在の役所と同じ人事異動と同じく、
通常2-3年で、長いといっても3-4年なので、
これは異例だそうです。 (続く)
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