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時代劇の大スター『鬼平』と『遠山の金さん』(1)

「鬼平犯科帳」の主人公『鬼平』こと
『長谷川平蔵宣以(銕三郎)(銕次郎)』は、
1745年に東京で生まれた実在の人物です。

『鬼平(長谷川平蔵宣以)』の
父『長谷川平蔵宣雄』は、優秀な人物で、
江戸で、「火付盗賊改」をしていました。

1772年、
死者約1万4千人と言われている、
江戸三大大火の1つ「明和の大火」と呼ばれる
大火事が起きました。

そして、父『長谷川平蔵宣雄』は、
その犯人『無頼漢長五郎(真秀)』を捕縛しました。

『無頼漢長五郎(真秀)』は、昔から問題がある人物でした。

14歳の時、奉公先の主人に叱られた腹いせに、
屋敷に火を付け盗みを働き、

親から勘当されると金子を盗んで逐電し、

大円寺の修行僧として住み込んだ時には、
お布施をちょろまかしていたので、

大円寺の和尚に破門されました。

しかし、その事を逆恨みし、
36歳の時に、大円寺への放火したそうです。

そして、父『長谷川平蔵宣雄』は、大捜索の結果、
放火した『無頼漢長五郎(真秀)』を捕縛しました。

火災の後、物価は高騰し、
庶民生活に大きな打撃を与えたそうです。

その後、父『長谷川平蔵宣雄』は、
京都に栄転し、「京都西町奉行」をしていましたが、
1773年に、55歳で急死しました。

『鬼平(長谷川平蔵宣以)』は、
厳格だった父がいなくなった事により、
タガが外れて、

遊女やその情夫、無法者と交わり、
ゆすり、詐欺や賭博をしたりして、
裏社会の隅々まで知りつくし、

「鬼平犯科帳」にも、書いてありますが、
本所(東京都墨田区)に住んでいたので、
『本所の銕』と呼ばれて、恐れられたそうです。

そして父が、ためていた大金も、
遊郭や賭博で、使い果たしてしまいました。

しかし、家族が悲しみ、
このままではいけないと考え直し、
悪友と関係を持ちつつ距離を置いて、
真面目になる事を決意したそうです。

そして、『鬼平(長谷川平蔵宣以)』は、
京都にいる父の部下の与力や同心たちに、

「皆さんがんばってください。
私は江戸で、
英傑といわれるようになってみせます。」と豪語したので、
周囲の人々は、失笑したそうです。

しかし、江戸に戻り、

30歳で長谷川家の家督を継いだ後は、
ものすごく真面目に仕事に精を出し、

42歳の時に、「火付盗賊改」の長官になり、
東京都墨田区菊川にある、
自分の屋敷を役宅としたそうです。

『鬼平(長谷川平蔵宣以)』が、
順調に出世したのは、優秀だったからですが、
それ以上に、

超優秀な父『長谷川平蔵宣雄』が、
時の権力者老中『田沼意次』に気に入られたので、
その関係もあると言われています。

また、ある時、
老中『田沼意次』の屋敷近くで火事が起きた時、

『鬼平(長谷川平蔵宣以)』は、仕事を休んで、

田沼家に駆けつけて、家人に避難を勧めて、

避難が終わった頃、餅菓子が届くようにし、
夕刻には田沼邸に食事を届けたりしたので、

益々、老中『田沼意次』に気に入られれました。

その後、『鬼平(長谷川平蔵宣以)』は、
1795年、50歳の時に病気のため、
御役御免を申し出て、認められた後、
3ヵ月後に亡くなるまで、
「火付盗賊改」を続けていたので、
約8年間火付盗賊改だったそうです。

ちなみに、「火付盗賊改」は、
現在の役所と同じ人事異動と同じく、
通常2-3年で、長いといっても3-4年なので、
これは異例だそうです。 (続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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