井伊直孝とひこにゃん
- 2018/07/01
- 05:05
招き猫だそうです。

招き猫の由来はいろいろありますが、
そのうちの一つは、
東京都世田谷区の「豪徳寺」だと言われています。
江戸時代、
彦根藩2代目藩主『井伊直孝』が、
鷹狩りの帰り、小雨が降ってきたので、
木の下で、雨宿りをしていたそうです。
すると、そこへ、
1匹の白い猫が来て、
手招きをする様な仕草をしたので、
気になって、行って見ると、
白い猫はそのまま、近所にあった、
荒れ果てた小さな寺の
「弘徳庵(後の豪徳寺)」の門の所に行き、
そして、再び、
手招きするような仕草をしたそうです。
『井伊直孝』は、面白いと言って、
「弘徳庵」の境内に入り、
雨宿りをすることにし、
「弘徳庵」の和尚と話をしました。
そして、白い猫は、
「弘徳庵」の和尚の飼い猫と分かりました。
「弘徳庵」の和尚と話をし始めて、
数分後に、ものすごい雷雨となり、
先ほど雨宿りをしていた木に、雷が落ちたそうです。
『井伊直孝』は、
「もう少しで、雷の直撃を受ける所だった。
猫のおかげで、助かった。」と感謝し、
「弘徳庵」を建て直すために、多額の寄進をしました。
その後、「弘徳庵」は、
『井伊直孝』の
戒名「久昌院殿豪徳天英居士」にちなんで、
「豪徳寺」と改名し、井伊家の菩提寺となり、
寺も立派になりました。
ちなみに、幕末に「桜田門外の変」で暗殺された、
『井伊直弼』の墓もあるそうです。
その後、「豪徳寺」の和尚は、
この白い猫が死んだ時、墓を建てたそうです。
そして、
白い猫の手招きが寺の隆盛のきっかけになったことから、
「福を招き縁起がいい」として、
沢山の人々がお参りに来るようになったので、
境内に、「招猫殿」が建てられ、
白い猫が片手を挙げている姿をかたどった
「招福猫児(まねぎねこ)」が、
作られるようになったそうです。
ちなみに、
「招き猫」は、一般に右手あるいは左手を掲げて、
反対の手で小判を持っている事が多いのですが、

「豪徳寺」で、販売されている「招福猫児」は、
全部右手を掲げ、小判を持っていません。

その理由は、
「豪徳寺」は、井伊家の菩提寺ですが、
武士にとって左手は不浄の手のためであるという事と、
「招福猫児」は、機会を与えてくれるが、
小判までがついてくるのではなく、
その機会を生かせるかは、
本人の努力次第という事で、
小判を持っていないそうです。
「招猫殿」の隣には、願が成就したお礼として、
数多くの「招福猫児」が奉納されています。

ちなみに、
『井伊直孝』には、猫だけではなく、
犬の話も残っています。(続く)
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