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和牛の話-(2)

『デービッド・ブラックモア』さんは、
1988年、米テキサスA&M大学の研究農場で、
初めて出会った和牛に惚れ込み、
何とかして、和牛を日本から直接仕入れたいと考え、
1990年には、「オーストラリアWAGYU協会」を設立しました。

しかし、日本の畜産業者はどこも、
『デービッド・ブラックモア』さんに、
和牛の受精卵などの遺伝子を、
譲ってくれませんでした。

そんな時、
途方に暮れていた『デービッド・ブラックモア』さんは、
救世主の北海道の畜産業者『武田正吾』さんと出会いました。

和牛生産者団体「全国和牛登録協会」は、
和牛遺伝子を海外に出さないよう、
生産者たちに、強く働き掛けていましたが、

『武田正吾』さんは、それに反発して、

「日本だけが和牛を抱えるのは日本のエゴ。

世界中の人に、おいしい和牛を食べてもらう。

これが私の天命。」と言って、

『デービッド・ブラックモア』さんに、
和牛の受精卵と精液を、譲り渡しました。

そして、『武田正吾』さんは、『デービッド・ブラックモア』さんと、
和牛の受精卵と精液の対豪輸出独占代理人契約を結びました。

そして、『デービッド・ブラックモア』さんは、オーストラリアで、
日本の和牛生産者団体との間に縛りもなく、自由に、
念願だった日本の黒毛和種と同じ遺伝子を受け継いでいる
「フルブラッドWagyu」の生産を開始しました。

また、『武田正吾』さんは、
アメリカやニュージーランドや他の海外にも、
和牛の遺伝子を、大量に輸出しました。

『武田正吾』さんは、
多くの和牛関係者たちの猛抗議を受けましたが、
輸出を続け、

1998年まで、アメリカに、
200頭以上の和牛と受精卵、精液入り試験管1万本以上などが、
日本から輸出されたそうです。

日本はその後、和牛の遺伝資源の保護の大切さに気付いて、
制限をかけたため、
1999年以降、アメリカへの和牛の遺伝子の輸出は、
行われなくなりました。

『武田正吾』さんの事を、
和牛を、海外に広めた英雄と言う人もいますが、

反対に、国益に反した国賊という人もいて、

「全国和牛登録協会」より、1997年に除名処分を受けました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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